友達は運、友情は面積

「きっと自分がコミュ障だからだめなんだ」といった理由をみつけて自分を責めてしまっている人は、「まあ、たまたま集められて教室にいるだけのメンバーだしね」と考えてみたらどうだろう?

山本康正『きみたちは宇宙でなにをする?  2050年に活躍するために知っておきたい38の話』(飛鳥新社)
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もちろん、内気だったり、話下手だったりという性格も、多少は関係しているかもしれない。でも、友達ができない理由をすべて自分のせいにする必要はまったくない。

このコミュニティにはたまたまいないんだ、じゃあどこに行けば会えるだろう? 学校ではなく、塾や習いごとの場でみつかるかもしれない。もしかしたら日本ではないかもしれない。そんな風に考えて探しに行くほうがよっぽど気持ちの面でもいいはずだ。

僕は友情って「面積」だと思っている。友情という面積を求める式にするならば、こんな感じだ。

友情=友達だと思える人の数×心を許せる深さ

浅い関係性だけの友人がたくさんいても、そこまでの価値はない。でも深くつきあえる友人が数人いれば、友情という面積の総量は増える。きみなら、どっちがいい?

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