紀元前5世紀頃の神殿などが世界でもまれに見る保存状態で遺っており、それもまたシチリアが辿った悲惨な道のりを色濃く映し出していた。紀元前8世紀頃にギリシャの植民地となった後、ローマの支配下となり、イスラムやノルマン人、さらにはフランスやスペイン系などさまざまな民族の侵略を受け、破壊と創造が繰り返されて、異文化との融合がなされた。もともとの建築物に新しい文化や建築様式が加わりながら今も残る姿は、まざまざとその歴史を物語っていた。

一方、シチリアの過酷な歴史を知れば知るほど、日本の恵まれた歴史が奇跡に近いものであるということに思いが至る。日本は地理的条件もあり、侵略をほとんど受けず、稀有な発展を遂げた国家なのだ。欧州からは遠く極東に位置し、隣の大国である中国やロシアは荒海の向こう側にある。蒙古の襲来はあったが、大きな打撃を受けるには至らず、太平洋戦争後のアメリカ占領下でも直接統治されたわけではなく、その後の復興は我々日本人の誇りである。

また、宗教でも日本は独特の立ち位置にある。歴史上、戦争の背後にはしばしば宗教があったことは否定できない。現代でも、特定の宗教が頑なに主張を押し通そうとすることで国際的な軋轢が生じていることは事実だ。その点、日本は宗教に対して寛容で他者を責め排除するのではなく、認め合う包容力を持っている。

しかし近年、東アジアは北朝鮮問題で緊張を高めつつあり、日本も無縁ではいられない。日本にはこの危機感があまりに希薄だ。日本の役割は危機感を認識すると同時に優れた精神性を、国際的な緊張の解消にいかに活かすかだ。民族紛争や宗教間の対立など国際間紛争の調停にこそ、元来日本人が持つ寛容さが発揮されるべきだろう。今こそ日本人は侵略にさらされなかった幸運に感謝し、享受してきた歴史的な幸せを国際貢献に役立てるときだ。

話を元に戻そう。シチリアにも社会が安定し、栄えた時代がある。9世紀半ばから13世紀半ばにかけての約400年間だ。前半約200年間はイスラム支配下、後半約200年間はノルマン人の支配下において、キリスト教とイスラム教の共生が実現したのだ。異文化との対立と共生を経験してきたシチリアの歴史を紐解けば、その対立がいかに無駄なものであり、逆に、お互いを認め共生・融合することがいかに繁栄に有益であるかが、よくわかる。