野党に転落した自民党の最大の目標は政権奪還である。それには総選挙での勝利以外に、与党分裂で政権弱体化を誘う手がある。1994年、羽田孜内閣に対して与党の分断を仕掛けて政権復帰につなげた「成功例」もある。自民党は今度もこの手を使って消費税増税で民主党分断を図り、野田政権はまんまと策略にはまったのでは、という指摘もある。だが、自民党の野田毅税調会長(元自治相)は笑いながら否定した。
「そう見えるけど、仕掛けたのはわれわれではない。政治生命をかけると言った野田首相自身です。僕らに民主党を割る力はない。この問題は賛成か反対かしかない。首相はもっと早くから民主党内を説得しなければいけない。5月末、国会で『本当にやるなら、民主党は割れますよ。それでもやりますか』と質問したら『やらなければ』と言った。途中でつぶれることがないのであれば、やるしかないというのがわれわれの判断だった」
3党合意で結果的に民主党が分裂し、自民党は得点を稼いだ。一方で、3党合意と引き換えに解散の確約を取りつける作戦を立てていたが、自民党が強く望んだ「抱き合わせの話し合い解散」は実現しなかった。自民党内では、3党合意だけつまみ食いされ、解散を逃した谷垣に対して、「食い逃げされた」と批判が噴き出した。
3党合意に持ち込んだ民主党側の動きを、内閣官房参与の成田憲彦(元細川護煕内閣首席秘書官)が打ち明ける。
「野田首相は最後は谷垣さんとのトップ会談で決めたいと思っていたが、下の実務者のレベルと、党の幹部レベルがやらせなかったのです。政府・民主党三役会議で大激論があったが、輿石幹事長、樽床伸二幹事長代行、城島国対委員長は、『一体改革が終わったら解散を』と谷垣さんは必ず交換条件を出してくるから、トップ会談はやらずに、全部、実務者で決着させると決めた。実際に実務者の協議でまとまったんです」
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時