党を分裂させたのは民主党自身
野田は民自連携路線を突き進んだ。1月13日の内閣改造で岡田克也元代表を副総理兼一体改革担当相に起用して自民党との調整役に充てた。3月30日に一体改革関連法案を閣議決定し、国会に提出した。その後、しばらく音なしの構えだったが、国会会期末まで約1カ月と迫った5月後半、行動を起こした。
5月30日と6月3日、輿石のセットで反対派の総帥の小沢一郎元代表と会談を行った。だが、大方の予想どおり物別れに終わった。小沢グループの山岡賢次(前国家公安委員長。現国民の生活が第一代表代行)が感想を述べる。
「この会談は単なる最終セレモニー。野田さんは懸命に説得したというポーズを示さなきゃいけない。小沢さんは総理が会いたいと言うのを断ったら、また『意地悪している』となる。小沢さんは『会っても何も出てこないよ』と輿石さんに言った。向こうは自民党と組んで法案の採決にひた走っている。野田さんは民主党を全部捨てても消費税増税をやりたいという姿ですよ。こちらは賛成するわけにはいかない。反対すれば、離党するのが筋。そういうシナリオです」
野田は「小沢との決別」のセレモニーを終え、自公両党と協議に入る。6月15日、民自公3党は一体改革関連法案の修正で合意した。3党合意による「疑似大連立」ができ上がった。自民党副総裁の大島理森が内幕を語る。
「昨年暮れ、民主党の野田首相に近い筋に『本当に政治生命をかけるなら、国民に対して政治生命をかけることだから、通常国会冒頭で解散したらどうか。その考えがあるかどうか、総理に聞いてくれ』と言った。年明けに『冒頭解散はできない。法案を提出した暁に協議を』と返事がきた。これはダメだよと回答した」