20年間無敗の「雀鬼」として知られる桜井章一さんは、最近、街を歩いていて気になることがあるという。桜井さんは「自分は賢い人間だと言いたい人は多いが、その実、思考や肉体が凝り固まった人が増えてはいないか。その動きは直線的で硬く、街を歩いていても咄嗟の柔軟な対応ができない。もっと自然に学び、のびやかに生きることが大切だ」という──。(第2回/全5回)
※本稿は、桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
「歩きスマホ」だけが原因ではない
街を歩いていると、ぶつかりそうな勢いでやって来る人がやたら増えたように感じる。
歩きスマホをしているせいだけではない。動きそのものが硬いのだ。硬いからロボットのような直線的な動きになって、人混みのなかで咄嗟の柔軟な対応ができないのである。
地球上の生き物で不自然なほど硬いのは、人間だけだろう。最近の人の体がどんどん硬くなっているのは、それだけ自然から離れている証拠ともいえる。
生まれたときはすべての人が「柔らかい」
街中で平気でぶつかってくるような人でも、生まれたときはこのうえなくふわふわして柔らかかったはずだ。硬い体で生まれてくる赤ん坊などどこにもいない。
人は柔らかい状態で生まれてくるのだが、その柔らかさは徐々に失われていく。年を取るとともに硬くなって、老年期になればこちこちな体になってしまう。そして、最後はすっかり硬くなって死んでいくわけだ。
赤ん坊は生まれてから数年の間に目を見張るような変化を見せる。ハイハイしていたのが、そのうち立ち上がってヨチヨチ歩きを始め、話せなかった言葉を話せるようになっていく。つまり、柔らかさというのは、それだけ変化できる可能性をたくさん孕んでいるということである。
人は体だけでなく、頭も固定観念をたくさん増やして硬くなっていく。生きることは変化することである。その変化する可能性が小さくならないためには、体も頭も常に柔らかくしておかないとダメなのだ。