売れる前に出会った松田優作との友情
そして『太陽にほえろ!』に登場したジーパン刑事、松田優作と出会う。優作23歳、水谷20歳。初対面で打ち解け、その日のうちに撮影所近くの焼き肉屋に行ったという。
「まだお互いに名前が売れる前に始まっているから、格好をつけなくていいし、優作ちゃんには何でも言える、何でも話せるって感じがありましたね。ただ、家庭とか、プライベートなことはほとんど話さなかった。長く付き合うのって、お互いが気楽でいられる方がいいでしょ」(『水谷豊』)
ちなみにインタビュアーの松田美智子は松田優作の最初の妻であった。
優作は一晩でウイスキーのボトル1本を空ける酒豪だが、水谷は下戸。2人の交遊は優作が死ぬまで続いた。
優作が膀胱がんの治療のため都内の病院に入院したのは1988年9月のこと。水谷もその頃血尿の症状があり、見舞いに来た水谷は優作から、「豊も調べてもらえよ」といわれて検査することになった。
初期の膀胱がんが見つかり、水谷は入院、優作は退院して、水谷の見舞いに来た。
「二人で病院のトイレに隠れて煙草を吸ったり、屋上のベンチで差し入れのコーヒーを飲みながら色々な話をしたのよ。とにかく、楽しい話をした記憶しかない。あれは二人だけの秘密というか、とても密度が濃い時間だった」(『水谷豊』)
棺におおいかぶさり、「うわっ」と泣き崩れた
だが、優作は、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)の撮影が終了した後、急激に症状が悪化して、水谷と隣同士の病室になった。
最後になる入院をした優作を、水谷が新妻の伊藤蘭と見舞ったのが1989年10月。笑って別れ、ニューヨークへ新婚旅行に出かけた。帰国したのは優作が亡くなる前日だった。
「葬儀が終わり、火葬場で最後のお別れをするとき、水谷は棺に横たわる親友におおいかぶさり、『うわっ』と声をあげて泣き崩れた。松田優作は享年40。彼と20歳で出会った水谷は、37歳になっていた」(『水谷豊』)
萩原とは彼の代表作の一つであるドラマ『傷だらけの天使』で共演してから親しくなった。
「番組が始まってから、萩原さんに『泊まりに来いよ』と誘われて、なんどか家に行きましたね。最初の奥さんの小泉一十三さんと一緒の頃でした。『豊、風呂に入ろう』と言われて、風呂の中でいろいろな話をしたり。食事をごちそうになったりしました」(同)
水谷は自伝の中で、「会っているときは意識していないんだけど、過ぎてみると、その時々で経験したことが残っていて、影響を受けていたことが後から出てくる。優作ちゃんに会ったことも、萩原さんに会ったこともそう。それらの積み重ねですね」と語っている。