お互いに「かなわない」と思っていた沢田と萩原
沢田と萩原の関係はもっと密であった。萩原は沢田のタイガースのライバルである「ザ・テンプターズ」の人気ボーカルであった。
当時の萩原を見て、沢田はこういったという。
「ウエスタン・カーニバルなんかのとき、あの爆発するようなエネルギーとふきあげるステージには、ぞっとするような威力を感じて、もう、ぼくがファンの一人になってしまった、と感じたほどです。こいつには絶対負けたくない、と思いましたよ」(『週刊テレビガイド』73年11月16日号)
萩原は、歌ではジュリーにかなわないが、役者としてなら勝てると考え、そっちに進んだが、常に沢田を尊敬すべき相手として見ていた。「喧嘩がめっぽう強い」ともいっていたそうである。こんなことがあったそうだ。
大阪でGS大会があった後、沢田と萩原、堺正章、布施明が暴力団に拉致されたことがあった。連れて行かれたクラブで「歌え!」と強要され、黙っているのも泣きべそをかいているのもいたが、沢田はヤクザに面と向かってこういったそうだ。
「歌えないよ」
萩原は、「こいつ、度胸あるなあ、と思った」という。
だが、沢田も萩原が自分にないカッコよさを「全部持っている」と、コンプレックスを感じていたそうである。
「俺はあいつが大好きなんだ!」
萩原と同年で「劇団青い鳥」の演出家で俳優の芹川藍はこう語っている。
「七○年代ってもの凄くモヤッとした時代だった。(中略)ショーケンはまだ野生が残っているライオンみたいなもので、芝居で絶対嘘はついていません。(中略)でも、嘘をつかない演技ってもの凄く精神的に消耗するんですよ。
(中略)ショーケンを見てたらウルウルする時がありました。何度も結婚して、何度も逮捕されて、いろんな監督や共演者と喧嘩して、ああしてないと自分を保てなかったんじゃないかとさえ思う。彼は、自分が幸せなところにいるのが嫌だったんですよね」(『ジュリー』)
「ライバルだったと言えるとすれば、沢田研二です」。そう自著に書いた萩原は2019年春、惜しまれながら静かに逝った。享年68。
沢田はライブツアーの中で、こう語ったと『ジュリー』にある。
「昔のこととはいえ、ショーケンといえばジュリーと言われちゃうんだよ。ショーケンはそんな奴じゃないぞ。もっと凄い奴だぞ。俺なんて生き方が上手じゃない。ショーケンはもっと上手じゃなかった。俺は足元にも及ばない」
そして涙を飛ばして叫んだという。
「俺はあいつが大好きなんだ!」