まもなく夏の甲子園の決勝戦だ。あなたはこれまでテレビの実況中継に違和感をもったことはないだろうか。ライターの春日和夫さんは「ここ何年も『抜けていったー』『打ってきたー』が気になっている。なぜ『抜けた』『打った』と言い切らずに動詞を重ねるのか。ベテランアナウンサーに話を聞いて、その本当の理由がわかった」という――。
阪神甲子園球場
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「七回の攻撃となっていきます」が気になる

ここ何年も、もうずっと感じているのだが、テレビの野球中継での、

「七回の攻撃となっていきます」「外角低めいっぱいに決めてきました」「打っていきます!」「打ってきたー」「走っていった!」「フェンスの向こうに持っていったー」(いずれも今夏、高校野球の地区予選や甲子園の本大会の中継で聞いたもの)

と、こういう動詞を重ねて“現在完了”だか“過去完了”だか“現在進行形”にする実況アナウンスが、気になる。多すぎる。まどろっこしいし、またうるさく感じる。

特に塁間を破った打球には、ほとんどの実況で本当に判で押したように、条件反射的に「抜けていったー」と叫んでいる。

いや、いいんだけど。塁間を抜いたゴロを外野手が捕球しようとしているときや、外野の間を抜けたボールを外野手が追って走っている場面なら、「抜けていったー」にさほど違和感はない。サッカーやラグビーでも「蹴っていきましたー」とやっているし、PGなら「狙ってきます」「長い距離だが決めてきました」が定番。ボクシングも「右ストレート、打っていくー」。バドミントンじゃ「1点差に縮めてきた!」など。

「(打って)(抜けて)行った」には行為者(打者やボクサー、あるいは打球そのもの)の意思や方向性を聞き取れるし、「(狙って)(決めて)来た」には、行為者(キッカーやピッチャー)の狙いや作戦、敢えてする勇気や、「してやったり」「うまくやりやがった」の観も伝わってくる。だから「走ってきたー」は、こっちに向かってきたのではなく、盗塁やエンドランのときに叫ばれるわけだし、それが「走らせてきたー」という使役法に転じるなら、そこに作戦をしかける監督の意向も聞き取るべきなのだ(「走ってきた」も「走らせてきた」も今夏、甲子園大会の中継で聞いたもの)。

そんなの映像もあるんだから、見りゃわかんだろ。そんなの気にしてんの、お前だけだぞ――という声もまた、聞こえるようです。

「打った」「抜けた」でいいのではないか

しかし、である。ホームランを「ライトポール、しかも上のほうに当てていきましたー」なんて言われると、別にポール狙ってねえじゃんよ、とテレビに突っ込んでしまうし、打ち損じを「ファールにしていきました」と言われても、今のカットしたんじゃないだろ、とつぶやいてしまう。「この回(の攻撃)は中軸から始まっていきます」は、率直に、始まってんだろもう、と思うし、「打ち損じていった!」には噴飯した。以上4つはプロ野球中継で聞いた例だが、濫発される「行った」にはこういう何か日本語として変なものもあるから、気になるのだ。粗探しをしているわけではないが、耳障り。

昔のように簡潔な「打った」「抜けた」でいいのではないか、と思うのだ。