「電車の中で子供が泣いていいのか」問題
今年のお盆休みは、相次ぐ台風の接近に気を揉んだ人も多いのではないだろうか。
コロナ禍以来4年ぶりに夏休みを満喫したい、そんな声が大勢である。
移動する新幹線や飛行機のなかで、赤ちゃんの泣き声や、子供の騒ぎ声が気にならない人はいない。
親の躾がなっていない、あるいは、子供だから当たり前、など、さまざまな意見が出てくる。
どの立場にせよ、好き好んで子供の泣き声を聴きたい人はいない。
騒いでいる子供が近くにいなければラッキーだが、今年の夏は、コロナ禍前と比べても家族連れが目立つように思えるから、誰もが多かれ少なかれ、子供の泣き声を聞いていると思われる。
「電車の中で子供が泣いていいのか」問題とは、ともにライターのばるぼら氏とさやわか氏の対談本『僕たちのインターネット史』(亜紀書房、2017年)で論じたもので、「ネットの論争では、曖昧で誰も決められないことであるほど人々は熱中する」(同書)象徴として挙げている。
お盆、ゴールデンウィーク、年末年始といった長期の休みのたびに、SNSを中心に「新幹線や飛行機の中で子供の泣き声は是か非か」との議論が盛り上がる。
車内や機内での大声を禁ずる法律はないし、泣いた子供を鎮めるのが親の義務というわけでもない。
それでも、子供の声を不快に思う人は少なくない。
「うるさい」としか思えなくなっている私
実際、まさにこの原稿を書いている今、新幹線の私の真後ろの席で子供が騒いでいる。
泣いてこそいないものの、テーブルを出したり閉まったりして背中に振動がくるし、時には「まだつかないの〜」と大きな声を出す。
慌てて父親らしき人物がデッキに連れ出す。
そう、私もかつて赤ん坊だった娘とともに新幹線に乗ったときには、子供がグズりそうになると急いでトイレ付近に逃げていた。
誰かに注意されはしなかったし、文句を言われたのでもない。
幸いにして私の娘は泣き叫ばなかったから、ちょっと待てば落ち着いたのだろうし、多少の「騒音」なら許されたに違いない。
しかし、私の「内なる世間の目」が私を許さなかった。
不機嫌な子供をそのままにしておくのは親として失格なのではないか。躾がなっていない、と言われるのではないか。
心の声が、あのころの私を縛っていた。
さっきまで私の座席が揺れるたびに、後ろにいる子供を母親らしき人も「そんなことしたら、前の人がイヤでしょ」と注意していた。
とはいえ、すぐに諦めたのか、座席を蹴らせたままにしているし、「あと何十分でつく〜?」との大きい声もしばしば聞こえる。
ただ「うるさい」としか思えなくなっている私は、自分がかつて後部座席の親子と同じ立場だったことなど、ほとんど忘れているのだろう。