「自販機」ではイノベーションは起こせない

おまけに自販機はイノベーションに適さないという問題がある。自販機は変化に適応できないからだ。誰かがお金を投入して品物を選ぶと、自販機はその商品を提供してくれる。板チョコを注文すれば、板チョコが出てくる。

だが、あなたが選択した商品を吟味して、もっと良いものを推薦することは許されない。板チョコの代わりに、にんじんやポテトチップスを勧めることはできないのだ。仮に商品がなかで詰まって出てこなければ、あとはただ身体を揺すられるのを待つしかない。誤って2枚の板チョコを出しても、1枚を回収することもできない。

従業員を自販機のように扱えば、自販機のサービスしか期待できないが、それで問題ないときもある。だが、組織が短期間の危機的状況を何度も乗り越えながら、長期的に成功し続けるには、自販機以上のサービスが必要になる。だからこそ、人を単なる業務内容として扱わず、唯一無二の個人として扱うと約束してほしいのだ。

職場において人間が画一化されるのは、決して新しい傾向ではない。実際、会社に所属する人たちの呼び名にもその傾向は表れている――たとえば「従業員」「人材」「人的資源」などといった用語だ。こうした用語は人から人間性を奪い、画一化を押しつける。

繊細な違いよりもカテゴリーを優先させる。個人の能力の独自性や重要性を認識していない企業や、過小評価している企業には、こうした用語がなじむ文化がある。どんな人も、組織の一員と認められて仕事に取り組めば能力を発揮できるのに。

「自販機」はいつしか暴走する

とはいえ、人事考課の無駄なルーティン、非効率的な古くさい業務、柔軟性に欠ける効率化目標といった、やっかいなプロセスや方針によるダメージに比べれば、用語によって非人間化する影響など軽いものだ。こうしたプロセスや方針は、組織的に仲間たちを人間扱いしない環境を生む一因となる。

おまけに人間を機械、モノあるいは「資源」として扱い始めると、人間に対して暴挙とも呼べることをしでかすことがある。たとえわずかでも人を人間以下だと思った瞬間、その人に対する合理的な扱い方が大きく変わるからだ――しかも悪い方へと。そしてその傾向が乱暴な形で暴走したケースを、わたしたちも見たことがある。差別、奴隷、大量虐殺はいつも、最初に人間以下と見なされた集団がターゲットとされてきた。

ロボットの集団
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