秀吉は子飼いの若者たちを男色と関係なく取り立てた
もちろん豊臣子飼いの武将たちはいずれも秀吉と男色の関係にはなかった。それでも彼らは主君の厚意を後ろ盾に華々しく出世し、恩義に報いるべく必死になって忠節を尽くした。近侍する少年に自身の世話をさせ、立派に育てた後、高い身分に出世させる――構図的には足利義満やその他の大名と何ら変わるところのない人材登用術である。
秀吉の例を見てもわかるように、男色など介在せずとも子飼いの家臣を育てることはできた。特別の贔屓で取り立てられた家臣の出世を、安易に性愛の賜物に結びつけるべきではないだろう。
もしそこに何かがあったとしても、個人同士の秘めたる関係である。文献に伝わる関係は大半が、対象人物を嘲笑うために創作された内容だ。これらを情報源として、あの2人の関係は「史実」だと指差していては、ゴシップ紙の記事を信じる人々を笑えなくなるだろう。