戦国武将に仕えた色小姓は現代の美人社長秘書ポジション
一見、説得力があるが、現代でもアイドルという業態(アイドルそのものではなく、その社会的な役割)に好悪の反応があるように、当時は男色に興味のある庶民もいれば、否定的な武士もいたことを思うと、根拠のない想像は控えたほうがいいように思われる。
むしろ男色に興味がないはずの秀吉のもとに美しい小姓がいた意味を考えるべきではないか。天下人や大名のもとには、男色に関係なく小姓を側に置いたのである。成り上がりの社長の一部が、美しい秘書を手元に置くような意識に近かったかもしれない。
ともあれ秀吉が女色一筋で、男色に関心がなかったというイメージは古くから定着していたようだ。
美少年の石田三成が秀吉に寵愛されて出世したという異聞
それでも秀吉が男色趣味に親しんだとする異聞が三つほど存在する。
ひとつは石田三成が秀吉に男色の寵愛を受けて出世したという、『石田軍記』の話である。
或時、秀吉公参詣の折節に御覧じて、挙動艶に立居他に勝れて見えければ、即ち召して夜閨を同うし、玉枕を比べさせ給ひ、周の慈童、韓の東野が振舞を作しにける。
気になる信憑性のほうだが、同書は三成が直江兼続と組んで家康を倒し、上杉景勝も暗殺して天下を分け合おうとする謀略が描かれている。この時点で察しが付くであろう。
同書のタイトルからは三成を称える内容が想像されるが、実際には神君・徳川家康公に楯突いた三成を非難し、人格を貶める内容となっている。史書というよりは文学作品に近い。面白い物語を豊富に揃えた小説の一種で、この逸話も創作話と断じていい類いのものである。