酒乱の父親は49歳で他界、その後、2人の子供を育てた母親は42歳で乳がんに、75歳で慢性骨髄性白血病にかかり、85歳の頃にはアルツハイマー型認知症を発症。実家近くで飲食店などを営む次男が全面的に介護をすることになった。しかし、母親の認知機能はみるみる低下し、介護施設へも行きたがらない。店を開けられなくなった次男は自暴自棄になって――。(前編/全2回)
拡大鏡を使用して、携帯メールを読んでいるシニア女性
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

酒乱の父親は49歳で死去

東北地方在住の山田寅彦さん(仮名・60代・既婚)の両親は、知り合いの紹介で、父親30歳、母親23歳の時にお見合いをして結婚。母親は翌年、山田さんの兄を、26歳の時に山田さんを出産した。

父親は兄3人、妹1人の5人きょうだいの末っ子。母親は兄・姉・弟・妹の5人きょうだいで、働き者で明るい人だった。

建築関係の自営業をしていた父親は、幼い山田さんや兄とよく遊んでくれた。山田さんが物心ついたとき、ひょうきんな父親を中心とした笑いのある明るい家庭だった。

しかし、何がきっかけか、父親は徐々に働かなくなり、日中から飲酒するようになっていく。酒を飲みすぎて暴れることが増え、家庭が暗くなっていった。両親の夫婦仲は悪くなり、父親が暴れたときは、母親に背負われて逃げたこともあった。

母親は、働かなくなった父の代わりに精密機械の下請けの仕事を始め、家計を支えるようになった。

父親は49歳になると、酒の飲み過ぎから肝硬変になり、急死。

「日中から酒を飲んでいることが多く、私が高校に入ると、頻繁に居酒屋から呼ばれ、泥酔した父を背負い、家まで連れ帰っていましたが、背中に失禁されたこともありました。暴力は振るわれませんでしたが、酔って私のラジカセを踏みつけて、壊してしまったこともありました。小さい頃からよく遊んでくれた情はありましたが、(亡くなっても)涙は出てきませんでした」

兄も泣いていなかったが、母親は泣いていた。

42歳の母親は、父親が亡くなってすぐ、乳がんになっていたことがわかったが、手術や入院治療を経て、その後は寛解。退院後は働きながらも、高校3年生になっていた山田さんの毎日の弁当作りをこなしてくれた。

兄は高校を卒業し、建築関係の会社に就職していた。山田さんは高卒後、不動産関係の専門学校に進む。やがて24歳くらいの頃、兄は結婚し、実家を出た。その2年後、建築設備の会社に就職していた山田さんが、高校時代からの友人だった女性と結婚し、実家を出た。

そのタイミングで、一人暮らしになった母親を心配した兄家族が実家にもどり、母親と同居を開始。母親は仕事を続けながらも、友人たちとの交際も積極的に行っていた。還暦後は、老人大学などに参加して新しい友人をつくり、充実した老後を送っていた。

ところが兄家族と母親の同居から約16年後、兄が42歳、母親が66歳の頃、兄夫婦の離婚が決まる。兄の妻と子どもたちは出て行き、実家は母親と兄だけになってしまった。その後、半年くらいで兄は実家を出て、一人暮らしを始めた。

「母はいつも心配して、良くしてやろうとして言っていたようですが、兄は小言を受け流すことが下手というか、やはり相性が良くなかったということでしょうか。兄は離婚後、精神的に不安定になっており、実家にいるのがつらくなったようです。母は、私は素直に母の言うことを聞く耳を持つが、兄は素直に聞いてくれないと嘆いていました」