1日8時間、週40時間働く必要はあるか

イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズが1930年に「2030年に人間の労働時間は週15時間になる」と予言したという有名な話があります。

私の周囲には「これからは1割の人だけが働いて、残りの9割は社会保障で暮らす」と言う人までいます(私はとてもそこまでになるとは思いませんが)。

これはカール・マルクスの議論ですが、経営者や資本は、労働者(人間か機械かは問わないが)を最大限働かせるようにできています。

「働かないとならないんだ」とか「もっと頑張って働こう」とかいった価値観は、自己増殖する目的を持つ資本の側で作られているのです。

資本主義はそういう理屈の上に成り立っている仕組みですが、それに乗るかどうかは労働者側の自由です。

しかし、自由と言われても、私たちの価値観は自分たちが思っているよりも深く、私たちの内面に埋め込まれてしまっています。

例えば日本の大企業であれば「週40時間働きましょう」といった価値観が根強いでしょう。

1日8時間働いて、仕事が終わらなければ残業し、基本的に休みは土日の2日間、権利として有給があり、会社にそれを申請して休みを取る。

そういった価値観への抵抗勢力として労働組合などがあるわけですが、その影響力は弱く、この先も社会を変える可能性は低い。

どうしても資本主義の下では資本の力が強く、それは選挙にしてもカネをたくさん持っているほうが勝つわけで、政治によって現実が大きく変わることはない、と考えるのが普通です。

「金でどうにでもなる選挙なんてやっても意味がない」という考えで、毛沢東をはじめとした代表的な左翼の指導者は選挙をやりませんでした。

これはボリシェヴィキやソビエトの理論ですが、一党独裁を正当化する考えでもあります。

近年では、中国の若者の間で「寝そべり主義者宣言」という「金や名誉のために一生懸命働くなんてうんざりだ、寝てのんびり暮らそう」という思想が生まれてきていたりもします。

そういう様々な議論が社会の中にはあるわけですが、読者の皆様には今一度、「週40時間、1日8時間働く必要が本当にあるか?」と考えてみてほしいのです。

繰り返しになりますが、本来これは自由です。

働いてもいいし働かなくてもいい。

「やめた」と言って寝そべっていても、生活保護はあるし、本来はなんでもありなのです。

新しく生まれた時間をどう使うか

寝そべるとか全く働かないのは極端な例だとしても、ChatGPTという技術の登場によって、例えばこれまで2時間かかっていた作業が1分で済むようになった場合、残りの1時間59分をどう使うのかは、個人の選択に委ねられています。

当然、資本の側はこの時間を使って「もっとやれ」と要求してくるでしょう。

しかしここで「これまでと同じ作業で同じ給料をもらえるからそれでいい」と思えば、残りの1時間59分はサボタージュできるし、「独立して120倍やればもっと稼げる」と考えるのであればそうしたっていい。

理屈ではそういうことになります。

まずは資本によって操作された洗脳をどうやって解き、その上で何を自分が選択していくのか。

新しいAI時代の波をどのように乗りこなして自分の人生をドライブしていくべきなのか。

本書を元にChatGPTを使いこなし、資本の言説から解き放たれる人間が一人でも多ければ、これほどうれしいことはありません。