都会は物価が高く、子育てするには住居も狭い
こんな生き物がペットショップに行けばすぐに手に入れられる社会的状況において、モテない独身の人が、恋愛や結婚といった自由競争を勝ち残り、そして「子供」を得る努力をするというのは、相対的にかなり「コスパ」の悪い営みになってしまうのだ。
ペットショップに行けば「娯楽性」を100%得られるが、マッチングアプリから結婚に至る努力をしても100%パートナーを得て子供を作れるとはかぎらない――そう考えると、品種改良されて外見も内面も人間にとって「可愛い」と思える犬猫の存在は、あまりにも“強い”のである。
いま東京をはじめ、先進各国の大都市では不動産価格の高騰によってマイホームが購入できない若者が増えている。かろうじてマンションを購入できたとしても、部屋数が少なく専有面積も狭い住居しか確保できず、これでは多くの子供を持ちたいとはとてもではないが思わないだろう。物価が高く住居の狭い都会にますます集中する若年層にとって、なにかとコストやスペースがかかってしまう子供を持つよりも、「省スペース」「省エネルギー」であるペットを選択する動機はますます強まっている。
子供は「ハイリスクなぜいたく品」になっている
冒頭で述べたように、統計的にかれら可愛らしい犬猫の方が人間の子供よりも「家庭」における勢力図で優勢に立ってしまったのは偶然ではない。
恋愛や結婚の難度の急激な上昇と、そもそも子供を持つことのコストやリスク感覚が増大、それらが妙齢の男女に重くのしかかる時、ふと脇を見たときにニャーとかワンとか鳴いて自分にすりよってくる可愛らしい生き物の姿が目に入れば、それは十分すぎるほど魅力的な「代替案」に見えてしまう。
産業構造の変化にともない、子供を持つことの訴求性が労働力や世継ぎといった「実用性」ではなく、無上の喜びや楽しさや幸福感といった形や数字には表れない「娯楽性」に収斂していった。一方で、子育ての倫理的ハードルや教育投資レース(その最たる例が現在盛り上がっている中学受験ブームである)はますます苛烈化し、社会的経済的な負担感ばかりが高まっていった。
現代社会の家庭では、本来ならばそこに子供がいるはずだったスペースを、次々と可愛らしい犬猫が埋めている。ローマ教皇はそれを身勝手だと嘆くだろうが、しかし現代人にだってやむにやまれぬ事情があるものだ。