「おもちゃ貸して」への答えは「嫌」でもいい

また、悲しそうな友人を見て、ハグしてあげたい、と思ったときに、“Can I give you a hug?”(ハグしてもいい?)と友人の気持ちを聞くことの大切さを先生が説明していました。

「一緒に遊ぼう」と声をかけられて嬉しいときもあるし、遊びたくないときもあるので、声をかけられた子に「一緒に遊びなさい」と言うこともありませんでした。

「おもちゃを貸して」と言われたら、「これ貸してもいい」と思うときもあれば、「まだ使っているから嫌」というときもあり、どちらの答えでもいいと教えられていました。

おもちゃで遊ぶ二人の子ども
写真=iStock.com/FatCamera
※写真はイメージです

その教えに込められた意味を先生に尋ねると、友達とおもちゃなどをシェアするためには、「自分が今使っているものを気が済むまで使っていい」「誰かに貸しても自分が必要なときには返してもらえる」と思える安心感が何よりも必要で、逆にもし「自分が使っているものが誰かに取られてしまうかもしれない」という不安が先行してしまうと、友達とのシェアが難しくなると説明され、安心感、信頼感をベースに考える視点になるほど、と思わされました。

「自分の身体や意思は自分のもの」

私の子どもとその友達たちの交流を見ていると、「同意」とは、後から問題にならないようにYESと言ったことの記録を残しておく契約のようなものではなく、同意がなければ何かが禁止されるというルールでもなく、気が変わったら答えを変えていいものであり、単純に「自分の身体や意思は自分のもの」という、自分を尊重する力を与えてくれるものだと感じます。

子どもたちに、自分を尊重する発言をしてもいいと学んでほしい。また、他者が自身を尊重する判断をした場合には、それが自分の希望と違っても、仕方がないと自分の希望を手放せる考え方を身に付けてほしいと思っています。

NOと言ってもいい、またNOと言われてもいい、という双方の立場からの「同意」の自分の希望を手放せる考え方を身に付けてほしいと思っています。

NOと言ってもいい、またNOと言われてもいい、という双方の立場からの「同意」の受け入れの練習をさせてもらっている子どもたちがうらやましく思えます。