社員の妻にアプローチして性生活を会社の管理下に置く
戦後長らく「企業共同体」といわれた所以がよくわかるでしょう。子どもの数まで会社が口をはさみ、何より、従業員の「妻」という社と契約関係にない別人格にアプローチして、その「性生活」まで社の管理下に置く体制……。社員の妻の組織化には、やはり、大日本婦人会と同じく、“片時の自由と承認”という行動原理があったのかもしれません。
主語が国や社会から、会社に置き換わっただけであり、そして、男たちはその主語に対していつの時代も滅私奉公し続け、女たちは好きに操られるという様子が見て取れます。戦後、米国型自由主義にさらされても、生活の本質はあまり変わっておりませんでした。
ベビーブームは早期に終息
改めて図表1をご覧ください。こうした官民挙げた努力が実って、団塊世代を誕生させた戦後のベビーブームは5年で終わっただけではなく、その後も出生数は減り続けていきます。人工妊娠中絶がたやすくできるようになったことと避妊知識が広まったことの相乗効果といえるでしょう。
その後、1971(昭和46)年から団塊世代の子どもが親になる第2次ベビーブームが起こり、再び人口過剰論が頭をもたげます。
1974(昭和49)年7月、政府が後援し、人口問題研究会、日本家族計画連盟など4団体が共催した「日本人口会議」が東京で開かれました。「子供は2人までという国民的合意を得るよう努力すべき」という大会宣言が採択され、政府に対し、人口庁の設置やピル、避妊リングの公認を要望しています。奇しくもこの年に第2次ベビーブームが終焉しました。
日本株式会社として会社人間とその妻を生み出し続ける構造に、少子化というオプションが組み込まれたまま、世は高度成長、安定成長、そしてバブルへと突入していきます。