産児制限の4つの目的
サンガー女史が主導した昭和初期の産児制限は以下の4つの骨子からなります。
第一は、やはり貧困からの救済。貧困なのは養う家族が多いからであり、だとしたら、その数を減らすことで、生活は向上する、という考え方が基本にありました。
2つ目は人口過剰による社会問題の解決。食糧不足が社会を揺さぶり、打開策とされた海外移民もなかなか進展しません。人口増加はそのはけ口を求めて、国を暴発させ戦争を引き起こす危険性もある。国際紛争を防止するには、自国内で国民を扶養できる程度に、人口を制限しなければならない、という政策的観点からの主張です。
続く第三の目的は、母体保護=多産からの女性の解放、および「女性による生殖の自己決定権」の獲得。多産は母体の健康を損ない、しかも、妊娠・育児期間の長期化により、女性から自己修養の時間を奪うという趣旨です。当時、サンガー女史ほどの人でも、女権への配慮は3番目でしかありませんでした。
最後は、人間の質の向上。これは前述の「自己修養の拡充」とは全く別の話です。何と、種の改良に役立つという側面が強調されていました。親が悪疾遺伝子を持つ場合は、断種(不妊手術)が奨励されるという、現在では到底、受け入れられない優生学的主張です。
サンガー論には女性を主語にした主張があった
このように、当時の産児調節運動は、優生保護、脱人口過剰・食糧不足、脱貧困、国家安全保障(戦争抑止)など政策的側面が強いものでした。ただ、その中でもキラリと光るのが、女性のクオリティー・オブ・ライフに触れている点でしょう。社会のあるべき論から発した「産め」と「産むな」がこの後、昭和後期まで連綿と続けられ、その流れは現代にまで至ります。しょせん女性を道具として見ている点は同じであり、だからこそ女性は、そうした為政者のおためごかしには乗らなかったのでしょう。
対して、戦後、長らくサンガー崇拝が日本の女性に染みついたその理由は、彼女の主張には、「女性を主語にした」一節があり、それが彼女たちの心を揺さぶったからに他なりません。