心のマネジメント不足による「失われたマザー工場」

そして、こうした基準に立つと、人材は他の資源とは違うのである。単純な例をあげれば、調達可能性について、よい人材は、市場からそう簡単には調達できない。もちろん、違うから別扱いせよということでは必ずしもないが、再配分の意思決定にあたって、他の資源(例えば、カネやもの)より深く考える必要がある資源なのである。

さらに人的資源には多面性があることも重要である。なかでも重要なのは、人材というのは、単にスキルだけではない。心理的な側面まで含めて初めて人材であることだ。意欲や心意気、会社に対するコミットメントなどが伴って、人は企業にとって価値ある資源になるのである。やや文学的な表現になるが、人材は心をもった経営資源である点で他の資源と大きく異なる。

もちろん、こうしたことはよくわかっているという反論もあるだろう。日本企業は、これまで人を大切にする経営をしてきた。だから多くの企業では、そうした点であまり心配がない、という声も聞かれよう。人材のマネジメントについては、昔も今も同様の注意を払っていると怒られるかもしれない。

だが、今多くの製造業企業で問題になりつつある中国での状況を考えると、私は日本の企業といえども、人的資源の複雑性を考えて意思決定することの難しさを感じてしまうのである。それは「失われたマザー工場」の問題である。

ご存じのように製造業の多くの企業は、しばらく前から日本国内の工場をマザー工場として使いつつ、中国への生産移管を進めてきた。いうまでもなく、中国の安価な労働力が最も大きな誘因であった。