相撲は高校まで。船を持って何かしたかった
【原田】古典相撲は定期的に行われるのではなく、祝い事などがあるとき開催されるんですよね。
【君ヶ濱】はい、ぼくは2回出ましたね。
【原田】普通の大相撲との違いはありますか?
【君ヶ濱】まずは、塩がたくさん撒かれること。
【原田】なるほど『渾身』でも土俵際にいる人たちも力士めがけて大量の塩を投げていましたね。
【君ヶ濱】土俵に立っていただくと分かるんですが、塩ってものすごく滑るんです(笑い)。二つ目は2番とるんですが、最初に勝った力士は2回目の対戦で勝ちを譲らなければならない。
【原田】島内で勝った負けたでしこりを残さないためですね。いわゆる人情相撲。そんな中、親方は中学校時代にも全国大会に出場、隠岐水産高校でも3年連続でインターハイに出場しています。この時点で大相撲に入るつもりはなかったんですか?
【君ヶ濱】(大きく首を振って)相撲は高校で終えるつもりでした。島で育ったので、隠岐の島と本土をつなぐ仕事に就きたいと考えていました。漠然と将来は自分で船を持って何かしたいと考えていましたね。
八角親方が誰だかわからなかった
【原田】高校卒業後、航海士になるために「専攻科」に進学します。しかし……。
【君ヶ濱】専攻科では、日付変更線を超えてハワイまで航海するという実習があるんです。3カ月の間、船の中での生活です。ところが、ベッドがぼくには小さかったんです。
最大で180センチくらいの人に合わせているんです。普通の人は問題ないです。ぼくはそれより大きいので、身体をくの字に曲げて寝なければならない。
【原田】ずっとその格好で眠るのは辛いですね。
【君ヶ濱】加えて船酔いもありました。ハワイ近くでは7メートルの波に遭遇したこともあります。500トンぐらいの船なのにカーペットがずれるほど揺れるんです。日本に戻ってきて(神奈川県の)三崎港に停泊したんです。
そのとき、携帯(電話)つながるかなって、電源を入れたら、学校の先生から着信があり、八角親方が高校2年生の子をスカウトするために島に来る、一緒にご飯を食べろ、と。今の(弟弟子にあたる)隠岐の富士を見に来たんです。
【原田】すごいタイミングですね! ついでに親方に会って大相撲に入るのはどうかという誘いだったんですね。
【君ヶ濱】いや、ぼくはお相撲さん(力士)にはならないってずっと言っていたので、先生は行かないとは思っていたんじゃないですか。こちらは狭いベッドと船酔いで、気分が落ちていたんです。まあ、ご飯食べるだけならばいいだろうって行くことにしたんです。
【原田】八角親方とは現役時代、名横綱だった北勝海関。八角親方のことはご存じだったんですか?
【君ヶ濱】(苦笑して)大相撲に全く興味がなくて知らなかった。このおじさん誰って感じでした(笑)。(兄弟子である)千代の富士関は知っていましたが、ぼくたちは、貴乃花関、若乃花関、朝青龍関の世代なんで……。
ジュースを買えと「1万円札」を渡された
【原田】第一印象はどうでしたか。八角親方は寡黙なイメージがあります。
【君ヶ濱】大きくて坊主頭で、顔を真っ赤にしてお酒を飲んでいた姿を覚えています。周りの方がずっと喋っていて八角親方はずっと黙って聞いていました。
相撲どころなんで、みんな親方と話をしたかったんでしょう。食事の後、親方から「ジュースでも買え」と言われてお金を渡されたんです。それが1万円札だったんです。
【原田】1万円札! 何本ジュースが買えるんでしょうか(笑)。
【君ヶ濱】当然のことながら、親からそんなジュース代貰ったことはないじゃないですか(笑)。華やかな世界なんだなと思いましたね。
【原田】そこで大相撲入りを決めた?
【君ヶ濱】いえ。翌日、八角親方が自宅に来てサインを書いてくださって、そこで終わりだと思っていました。その後、周囲から厳しい世界だけれど、頑張れば上に登っていける、船の仕事はその後でもできるんじゃないか。
せっかく大きな身体で生まれたんだから、それを生かせと説得されました。そこから1週間ぐらいで決めましたね。船乗りでやっていけないんじゃないかという不安と新しい世界への憧れに背中を押された感じですね。
【原田】ジュース代の1万円も影響しましたか?
【君ヶ濱】もちろん、でかかったですね(笑)。