一人ひとりの個性を尊重しながらチームを強くするにはどうすればいいか。障害者を率いて鳥取大学医学部附属病院の清掃を務める、さんびるの坂川ルミ子さんは「私は、1つのチームにするには相手の気持ちを尊重するのはいいけど、自分の気持ちも相手にぶつけることが大切だと学んだ。ただ、頭ごなしに否定はしないことを心がけている」という――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 13杯目』の一部を再編集したものです。

2020年からスタートした、鳥取県で障がい者雇用を積極的に行なっていた『さんびる』と障がい者就業生活支援センター『しゅーと』と『鳥取大学医学部附属病院』という3者での新しい取り組み。写真中央の清掃員・坂川ルミ子は、この枠組みで重要なポジションを担っているスタッフだ。
写真=中村治
2020年からスタートした、鳥取県で障がい者雇用を積極的に行なっていた『さんびる』と障がい者就業生活支援センター『しゅーと』と『鳥取大学医学部附属病院』という3者での新しい取り組み。写真中央の清掃員・坂川ルミ子は、この枠組みで重要なポジションを担っているスタッフだ。

「掃除だからできるだろう」と軽い考えで入社したが

坂川ルミ子の朝は早い。

朝5時に起床すると、まず洗濯機を回す。夫、2人の息子の洗濯物のうち、分厚い作業着などは乾燥に時間が掛かるからだ。そして朝食の支度に取りかかる。

食事を取った後、7時半には職場である鳥取大学医学部附属病院に到着。7時45分、渡り廊下の一角に彼女が束ねる「チーム」が集合する。

日によって人数は左右するが、だいたい4人から6人。年齢は20代前半から30代後半まで。まずは道具確認を済ませ、担当する部屋、作業を指示する。

「はーい、始め」

坂川の声とともに、モップ、ブラシ、タオルなどの道具を手にしたスタッフが一斉に散らばっていった。病院長室を含めた部屋の掃除は使用開始時間である9時までの約1時間に限定されているのだ。

大規模な事業所、ビルではこうした清掃風景は日常である。他と違うのは、坂川のスタッフがみな、心の病を抱えていることだ。

坂川は1971年に米子市で生まれた。

「(米子市)公会堂から歩いて3分ぐらいのところに住んでました」

当時は米子駅から縦横に商店街が広がっていた。特に週末には“土曜夜市”が開かれており、屋台が出て華やかな雰囲気となった。夏になると、商店街の通りには花を中に凍らせた氷の柱が設置され、坂川は手で触って溶かして遊んだ記憶がある。

最初の仕事場は米子市内の洋食レストランの厨房だった。

「しばらくしたら調理師免許をとらんといけなくなったんです。(料理は)面白いなって思ったんだけれど、(分量の)計算難しそうやなって思って、逃走しました」

勉強好きじゃないんですと坂川は笑う。その後は建築現場などで働き、結婚を機に一度は仕事をやめた。育児が一段落してまた調理などの仕事をしていたある日、街を車で走っているとビルの清掃をしている婦人たちの姿が眼に入った。

「なんか楽しそうに掃除しとーなーって。掃除だったら主婦の(仕事の)延長だよねー、みたいな軽い感じで、『さんびる』に入ったんです」

さんびるは1977年設立、山陰を中心に中国地方でビル管理、清掃業を手がける企業である。山陰地方でテレビコマーシャルを流しており、坂川は親近感を感じていたという。今から約7年前のことだった。

「掃除だからできるだろうと軽い考えで入ったら、深かった。こうしたらもっと時間が短縮できるとか、綺麗になるとか突き詰めていくと面白くなった」

2020年秋、坂川は取締役である樋口純一から呼び出された。とりだい病院で障がい者をスタッフとした新しい事業が立ち上がることになった、そのまとめ役――“サポーター”になってくれないか、というのだ。