※本稿は、松井一郎『政治家の喧嘩力』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
オールジャパンで掴んだ2025年大阪万博
2018年11月23日、パリで開かれたBIE総会で2025年の万博開催都市を決める投票が行なわれた。開催地はBIE加盟170カ国の無記名投票で決まる。総数の3分の2以上の票を得た都市が開催地に決まる。3分の2に達する都市がない場合は、最下位が脱落し、2都市に絞り込まれれば過半数を得た都市が開催権を獲得する。
私は吉村市長、世耕弘成経済産業大臣、誘致委員会会長で経団連名誉会長の榊原定征さんらとともに現地に赴き、投票が行なわれる場所とは別の一室で結果発表を待っていた。
突然、室内のモニターに投票結果が表示された。「日本85票、ロシア48票、アゼルバイジャン23票」
日本は半数を獲得したが、規定の3分の2には届かなかった。すぐに日本とロシアの決選投票が行なわれた。再びモニターに投票結果が表示された。
「日本92票、ロシア61票」
日本の勝ちだった。我々は抱き合って喜びを爆発させた。
我々はオールジャパンで誘致合戦を戦ってきた。その結果の勝利だったが、最後の最後に日本に勝利をもたらしたのは、ここ数年の安倍総理の外交力だったと私は考えている。
決選投票は安倍首相とプーチン露大統領の対決
第一次安倍内閣の発足した2006年9月から第二次安倍内閣が発足する2012年12月までの6年余のあいだに6人の首相が1年ごとに就任と退陣を繰り返す短命内閣が続き、国際場裏における日本の存在感は落ちるところまで落ちていた。
ドイツでは、この間を含む2005年11月から21年12月までの16年間、政権を担ったのはメルケル首相1人だった。G7サミットでも、毎年首相が代わる日本はほとんど相手にされなくなっていた。
しかし、投票が行なわれた2018年11月の時点で、すでに6年近く安倍総理は政権を維持していた。当時の安倍総理は、もはや1年ごとに交代する昔の総理の扱いではなくなっていた。世界に貢献してきた安倍総理はサミットでもメルケルさんに一目置かれ、トランプさんにもシンゾーと呼ばれる、確固としたポジションを築いていた。
万博開催都市を決める決選投票は、つまるところ安倍総理とプーチン大統領のどちらが万博を招致するにふさわしいリーダーかを選ぶ投票だったといってよい。そして世界は安倍総理を選んだ。この選択が正しかったことは、それから3年3カ月後、明らかになった。2022年2月、プーチン大統領がウクライナへの軍事侵攻を命じ、「世界の課題を解決する」万博を招致する資格のないリーダーであることを自ら世界に暴露したからである。