「SDGsを学ぶべき」と言わないと変人扱い
「自分たちの社会がどうあるべきか」を肌感覚で政治に反映させることができる場が地方自治の現場だ。
ハナから権威主義を盲信し、日本の子どもたちに国連の計画に従った価値観を学ばせる場を「自治体」と呼ぶのはナンセンスだろう。
まして、地域の大人が、自分たちの住む場所の課題を、自分たちの日常生活から発見できず、遠く離れた地球の裏側のNYで作られた計画に頼る姿を子どもに見せるなど、教育上望ましいことではない。
前述のご婦人が示した素朴な感想は、保守主義者であり、自由主義者であるなら当たり前の感想であるが、権威主義下の社会では、必ずしも主流となる言論とは言えない。
少なくとも、大学界隈、国際機関界隈、政府関係者界隈で良い顔をしたいなら、「SDGsのような国際的な価値観を子どもたちに率先して学ばせるべきだ」と言っておかねば、人でなし、または変人扱いを受けて、非常に居心地の悪い思いをすることになる。
SDGsの「目標」は国際NGOなどがねじ込んだ結果
そもそもSDGsは、どのようにでき上がったものなのだろうか。
Financial Timesによると、SDGsは議論の過程で、目標が8個から17個に、ターゲットが18個から169個まで肥大化したという。
これは国際NGOなどが、自分が取り組んでいる分野を目標やターゲットに含めるよう必死にねじ込んだ結果であろう。
SDGsの中に自らの活動領域が組み込まれていないと、国際機関や各国の予算配分で不利益を受けることは、火を見るよりも明らかだ。
SDGs策定当時に国際開発系NGOらのタックスイーターたちが必死の形相で自らの利権を盛り込んだ姿が目に浮かぶようだ。