SDGsにはどれだけの価値があるのか。早稲田大学招聘研究員の渡瀬裕哉さんは「SDGsの名目でジンバブエや北朝鮮のような独裁国家にもマネーが流れている。SDGsの目標・ターゲット自体、国際NGOの利権という側面がある」という――。
※本稿は、渡瀬裕哉『社会的嘘の終わりと新しい自由』(すばる舎)の一部を再編集したものです。
「SDGs、ESDに取り組む必要はないとガツンと言ってやった」
筆者が日本のある地域の会合で出会った、文化団体で活躍しているご婦人の話を紹介しよう。
彼女曰く、市の学校教育に関する審議会で「SDGsを担う人材を創るためにESDに取り組む必要はないとガツンと言ってやった」ということだった。
大した胆力だと思うが、このようなことを主張できる気骨ある人材は極めて少数だ。
SDGs(Sustainable Development Goals)とは、国連が定めた「持続可能な開発目標」のことであり、ESD(Education for Sustainable Development)は「持続可能な社会の担い手を育てる教育活動」を指す。
「地球の裏側で決めた計画」に過ぎない
ここ数年、日本でもSDGsがグローバル企業、政府、社会団体に浸透してきた。
地方自治体においては、内閣府から補助金が貰えることもあり、「SDGsに沿った取り組みを行います云々」といったお題目を掲げている地域が増えている。
筆者の感想は前述のご婦人と一緒であり、「地球の裏側で決めた計画を後生大事にして妄信するようなら『自治』の看板など下ろしてしまえ」と思う。
もちろん、地球全体のことに対する視野を持つことを否定しているわけではない。
しかし、「地球全体のことを考えること=国連の計画を達成することではない」という認識は必要だ。