インドは「世界最大の民主主義国」を自称している。本当にそうなのか。インドに詳しい防衛大学校教授の伊藤融さんは「貧困や差別が民主主義制度と共存してきた。ニューデリーの日本大使館に勤務していたときに見た光景には、胸が締め付けられた」という――。

※本稿は、伊藤融『インドの正体「未来の大国」の虚と実』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

インドのメインバザール
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インドは「理想的なパートナー」なのか

日本とインドは、長い交流の歴史を通じて共有してきた、自由・民主主義・人権・法の支配といった普遍的な価値で結ばれ、戦略的利益を共有する「特別戦略的グローバル・パートナー」です。
(2022年3月19日『インディアン・エクスプレス紙(インド)への岸田総理大臣寄稿』)

わが国でインドとの関係の重要性が語られるとき、かならず登場するのが「基本的価値観の共有」という前提だろう。中国や北朝鮮、ロシアはどうみても独裁・権威主義体制だ。現在の韓国とは自由民主主義体制で親和性があるとしても、歴史認識ではわが国と大きな隔たりがある。こうした国々の向こう側にある大国インドは、われわれにとって理想的なパートナーのように映る。

なぜか? まずなんといっても、インドは日本同様、第2次大戦後のアジアにおいて、一党独裁や軍事政権を経験したことのない稀有な国だからである。韓国や東南アジアの多くの新興独立国は、経済成長を錦の御旗にした「開発独裁」の道を採用した。けれどもインドは違った。その貧しい独立当初から、民主的な選挙を連邦、州、地方、村落のあらゆるレベルでつづけてきたのだ。たとえ一時であっても、ひとびとの生活を犠牲にするような政治が行われれば、そんなリーダーは選挙で淘汰されるはずだ。インド人のノーベル経済学賞受賞者、アマルティア・センは、独立後のインドにおいては中国などと違い、飢饉が起きたことはないとして民主主義の意義を評価している。

中国リスクがインドへの評価を高めた

もちろんその結果として、上からの開発を強制的に推し進めた他国に比べて、インドは国家レベルの発展が遅れたのではないか、という議論もありえよう。大規模な外資でもって、農民から強制的に土地を買収し、空港や道路、電力施設、工場などを一気に建設するといったようなことは、この国では過去から今日に至るまで起こりえない話だ。トップを抱き込みさえすれば、なんとかなる国と比べると、この巨大な民主主義国でのビジネスは、一筋縄ではいかない。

それでもインドが評価されるのはなぜか? それは自由民主主義の価値が、冷戦終焉により普遍化したと思われたにもかかわらず、その価値と相容れない中国の台頭がもたらすリスクを、西側の政治・経済の指導者がひろく認識しはじめたことによる。レアアースや半導体を中国に依存したサプライチェーンがいかに危ういものであるか、それはいまや多くの関係者が実感しているであろう。その意味で、中国とは対極にある、われわれと価値を共有すると思われる大国との関係が重要だと論じられるようになった。