怒りよりも前に「何があったのか」を知ろうとすること
三流は、感情の暴力を使い、
二流は、自分都合で話し、
一流は、どんなふうに話す?
感情は、使い方を間違えると暴力になってしまいます。
暴力とは、力によるものだけではありません。言葉によるものや怒りという感情をぶつけるものも暴力です。
自分がミスをしたとき、
「この前○○しろって言っただろ! できてないじゃないか!」
と頭ごなしに怒られたら、パワハラですよね。ストレスを感じるし、場合によっては恐怖を感じるかもしれません。
人間は感情を選んでいる生き物です。常に感情的に動いているように見える人でも、じつは相手によって感情を使い分けています。
例えば、部下に対してすぐに怒りを爆発させる上司が、社長に対しても同じように怒りをぶつけているでしょうか。そうした人は、社会ではあまり見かけませんよね。
「この人には怒っていいんだ」「この状況は怒っていいんだ」と自分に怒ることを許可した結果として、人は怒っているのです。
ですから、自分は怒りっぽい性格だと自覚している人でも、感情のコントロールは必ずできるようになります。
夫婦や恋人、親子きょうだい、親友など、関係性が近ければ近いほど、相手ならわかってくれるだろうという甘えがうまれることもあるでしょう。でも、「親しき仲にも礼儀あり」というのは、基本的な人間関係円満のコツではないでしょうか。
その時どんな理由で相手がそうした言動をしたのかをまず第一に考えて、
「今○○していたけど、何か理由があったの?」
「あなたが○○したのはなんで?」
「○○した理由を教えて」
と尋ねるのが、一流のコミュニケーションです。
理由がわかれば、
「そうなんだ、それじゃ次回から○○のところを気をつけてね」
で終わる話かもしれません。逆に、大きな問題が潜んでいたのだったら、再発防止を考えなければ、いずれもっと大きな困ったことが起きてしまうでしょう。
感情の暴力が繰り返されると、次第に相手とは、頭の中の共有ができなくなってしまいます。
「何かあった時は、話してくれるだろう」
と思っていても、一方的に叱り飛ばしたり自分の考えや思いを伝えてくる相手と、自分の言い分をちゃんと聴こうとしてくれる人とでは、どちらを信頼して、いざというときに相談をするでしょうか?
怒りよりも前に、「何があったのか?」を自分から進んで知ろうとしないのは、コミュニケーションの職務怠慢です。
相手にも理由があると考える