夕食は「肉の少ない鍋」が多かった
妻は偉かったですね。お1人おひとりから月に50万円いただいたとしても、ほとんどは活動費に使うのですから、生活費にはあまり回りませんでした。そうした時期に、よく家計のやりくりをしたと思います。
食べ盛りの子ども2人を抱え、夕食のテーブルに載るのは、やたらと鍋が多かったですね。あまり肉の入っていない鍋でした。
落選中も、支持者の中には「君は将来、総理になれる」と励ましてくれる人が多くて、力づけられました。「彼が総理になった時に渡してくれ」と100万円を用意して亡くなられた方もいたと、のちになって知るということもありました。
この人に出会えて本当によかったと思えることがいっぱいあると人間が豊かになりますね。同時に、そうした出会いが責任を強烈に感じることにもつながって、途中で投げ出さなかったんだと思います。
政治の世界に導いてくださった松下幸之助さんもそうですし、落選中に支えてくれた50人の人たちもそうです。責任ある人たちへの恩は、私が生涯をかけて返していくしかないんですね。
街頭で鍛えられたから今がある
初めて県議選に出たときから、街頭の演説でたくさんの失敗をしてきました。たとえば、朝刊で読んだお年寄りがアパートの一室でひとり亡くなっていたという記事にふれながら、独居死の問題を話していたら、「朝から暗い話をするな!」と道行く人に大声で一喝されたことがあります。その瞬間、言葉が出なくなってしまった。
読売ジャイアンツが勝った翌朝、「昨日のジャイアンツはすごかったですね」と話し始めたら、みんなの足が止まるということもありました。こうやって足を止めてくれるものなのかと、また驚いて、何をしゃべったらいいのだかわからなくなってしまった。足を止めてくれたり、逆に怒られたりと、小さな成功と失敗の繰り返しですね。
ビラを配っていると、後ろからわざとぶつかってくる人もいれば、足を踏んだり、中には体当たりするように通り過ぎて行ったりする人もいます。我慢の連続でした。ずっと路上で鍛えられ、自らの言葉を紡ぐようになっていったんだと思いますね。
きょう、このインタビューを受ける前にも、朝2時間、街頭に立ってきました。もう37年つづけています。コツコツつづけるというのは大事なんですよ。コツコツつづけることによって、たとえ1ミリでも、あるいは0.5ミリでも前進していると信じています。
調子のいい順風満帆のときだけでなく、逆風にさらされているときでも街頭に立っているからこそ、信用を積み重ねることになっているのではないかと思いますね。
「安倍さんともう一度、真剣勝負をしたかった」
2022年10月、銃弾に倒れた安倍晋三元首相への国会での追悼演説では、まさに私自身の政治家としてのすべてを集大成のようにして練り上げた原稿を書きました。あれほど推敲に推敲を重ねて原稿を書いたのは初めてのことです。決して広告代理店に代筆を頼んだりしてはいません。
われわれのような仕事をしていますと、結婚式の祝辞などはもちろん、弔辞を読む機会も少なくありません。祝辞に比べて、弔辞ははるかに難しい。