ちょっとした坂道を歩きながら演説するだけでもゼーゼーと息が上がってしまったものです。選挙運動は午前8時から午後8時までですから、12時間歩きつづけなければならなくて、本当にきつい。足は棒のようになりました。

現在の私が太っていることはみなさんおわかりでしょうけれど、初めての千葉県議選直前当時の私は29歳ですから、もっとスリムな体型だったんですよ。それでも、あっという間に10キロ痩せました。

ハンドマイクを担いで、ひたすら歩く

だけれども、見よう見まねの思わぬ効果とでもいうのでしょうか、自らの足を使って街頭演説に歩いているからこそ気づくこともありました。

演説するコースの途中に公団住宅があって、その前に小さな公園があるんです。公園には、たいてい真ん中辺りに滑り台がありますね。私は、子どもたちの邪魔にならないように注意しながら、その滑り台のいちばん上にのぼって、たすきをかけたまま、ハンドマイクを担いで演説をするんです。

たとえば、ベランダで洗濯物を干している奥さんがいらっしゃると、スピーカーをそちらに向けて、「こんにちは――」とバズーカ砲を向けるかのようにして語りかけるんです。

別の奥さんがベランダに出ていらしたら、スピーカーの向きをそちらに変えて、ロックオンしたといわんばかりに、また「こんにちは――」と演説を始める。聞いてもらいたい一心で、とにかく必死だったんですね。

困って困って困り抜いたときこそ、知恵が出てくるということを身をもって知っていったように思います。

インタビューに応じる野田佳彦氏
撮影=遠藤素子
どうしたら自分の話を聞いてもらえるか試行錯誤を続けた。「苦し紛れの知恵からイノベーションが生まれるんだと思いましたね」と当時を振り返る。

知名度も、カネも無い「泡沫候補」から千葉県議に

船橋市選挙区の定数は7。当時、私を含め14人が立候補していました。私以外の13人は皆さんしっかりとした経歴をもった方々で、自分だけが地盤、看板、カバンなしの「泡沫ほうまつ候補」だったんです。しかし、選挙期間中の情勢調査で「当選圏に入った」という情報が流れましてね、結果、1万8707票をいただき初当選することができました。

いまになって思い返しますに、最初の公民館での集会で座布団が埋まるようなことになっていたら、結局、中途半端な演説をして、支持を集めていくことなんてできなかったかもしれません。

最初にたった1人で来てくださった小川さんにはいまも感謝していますが、この最初の集会での失敗があったからこそ、退路を断って、思い切った活動ができるようになっていきました。そして、松下幸之助さんに5年間の教えを受けたことで、それまでとは逆転の発想ができるようになったと思っています。