検察官はデタラメな意見書を書いて保釈を妨害していた

山岸氏の保釈請求は、検察の強硬な反対意見で、却下され続けた。「人質司法」で耐えられない状況に追い込んで、無罪主張を断念させようとしているとしか思えないやり方だった。その検察の反対意見を受け入れ、裁判所は保釈を却下し続けた。

国賠訴訟の対象にはなっていないが、堀木博司という当時の大阪地検特捜部の検察官が、人間の心を持っているとは思えない冷酷非道な意見書を書いて保釈を妨害していたことが、山岸氏の著書で赤裸々に描かれている。保釈請求が却下されたワンシーンを以下に抜粋する。山岸氏にとっては、実に勾留から約半年が経過した5度目の保釈請求だったという。

極めつけは、〈被告人の精神的肉体的負担が限界に達している〉という請求書の記載への反論だった。

弁護人が誇張なくありのまま記載したわたしの現状について、検察官は、〈裏付け資料がない〉〈3月から5月まで平日毎日弁護人と接見している。4月30日と5月25日には合計4時間以上も接見している〉などと言って、〈被告人の精神的肉体的負担が限界に達しているとは到底思えない〉と冷笑した。

三畳一間の部屋に閉じ込められ、何もできない

こんな無責任な言い草があるだろうか。検察官は、自分がやっていることがわかっていないのだ。〈断固として保釈を許可すべきでない〉とコピペで張り付けただけの意見書のせいで、わたしがどれだけ苦しんでいるか、まったく認識していない。だからこんないい加減なことが言えるのだ。暴力を振るった加害者が、「被害者は全然痛がっていませんよ」と言うようなものである。

前年12月16日に逮捕されてから、半年弱である。その間、わたしは狭い三畳一間の部屋に閉じ込められ、どこにも行けず、やりたいこともできず、好きなものも食べられず、一日の行動を逐一管理されて過ごしている。

就寝の時間も起床の時間も運動の時間も食事の時間も、自分では決められない。テレビも見られない。電話もメールもできない。会いたい人と会うことができない。話したい人と話すことができない。(中略)

この堀木意見書が提出された翌日、大阪地方裁判所は保釈請求を却下、準抗告も特別抗告も棄却されてしまった。(山岸忍『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』第三章「通らぬ保釈請求と持ち株売却」より一部抜粋)

刑務所の格子窓
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