書き分けがあるのは「お」と「を」だけではなかった

③古代の日本人は多様な音を聞き分けていた

本居宣長は、『古事記』を読み解きながら、儒教や仏教などが浸透していない古代日本の人々が物事や季節をどう感じていたのだろうかということを研究します。

さて、古代の日本人は、現代人より多くの多様な音を聞き分け、書き分けていました。これは現代の言語学、日本語史研究から明らかになったことなのですが、宣長も少しだけ、そのことに気がついています。

このことが明らかにされたのは、東京帝国大学文科大学言語学科を卒業後、のちに同大学国語国文学第一講座教授となった、橋本進吉(1882~1945)によってです。

比較言語学(歴史言語学)と呼ばれる言語変化の法則を研究した橋本は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』に使われる漢字の使い分けから古代日本語を遡及していきました。

そして、「キ・ギ・ヒ・ビ・ミ・ケ・ゲ・ヘ・ベ・メ・コ・ゴ・ソ・ゾ・ト・ド・ノ・モ・ヨ・ロ」は、それぞれ二種類の音が聞き分け、書き分けされていたということを発見するのです。

現代の我々が「お」と「を」を聞き分け、書き分けしているのと同じです。「お」と「を」はほとんど同じ音に聞こえますが、「お」のほうは明るい感じがしますし、「を」は反対にくぐもった暗い感じに聞こえます。

「お」と「を」と同じように、上に挙げた二十の音も対になって明るい音と暗い音で聞き分け、書き分けがされていたという言語学史上の大発見なのです。

100年も前に仮説を立てていた

しかし、橋本は、こうした古代日本語の比較言語学研究を行いながら、しかし、自分より前に、このことに気づいていた人がいたということを発見します。

本居宣長です。

宣長は、明るい音とくぐもった暗い音の対で二つの音が聞き分け、書き分けされていたということには気がついていません。なんとなく、違う書き分けがされているらしいということに気づいているだけです。

山口謡司『面白くて眠れなくなる日本語学』(PHP)
山口謡司『面白くて眠れなくなる日本語学』(PHP)

そして弟子の石塚龍麿(1764~1823)に、この書き分けの研究をしてみたら、というようなことを教えたのではないでしょうか。龍麿は、『仮名遣奥山路』というタイトルで、その書き分けを分類した本を遺すのです。

橋本進吉は龍麿のこの本を入手し、宣長と龍麿が、まさに自分がやろうとしてきたことを、百年も前にやろうとしていたことを知り、びっくりするのです。

学問は、進化します。心理学、脳神経学、脳科学などさまざまな分野から、今後も古代人の思考方法や言語の聞き分け、書き分けなどが明らかにされていくことでしょう。とっても楽しみです。でも、学問を進化させるのは、「仮説」です。大きな仮説があって初めて、研究は進んでいくのです。

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