『古事記』の研究に35年間を費やした

では、「古学」に宣長は何を求めたのでしょうか。

「すべて後世の説にかかわらず、何事も古書によりて、その本を考え、上代の事をつまびらかに明らむる学問也」

目的は、『古事記』なら『古事記』の本文によって、『古事記』の時代のありとあらゆることを分かるように探究するというのです。

今まで伝わる『古事記』の本を可能な限り集めます。断簡があるかもしれませんし、古い記録に引用されている本文もあるかもしれません。そして、どれがもっとも『古事記』の著者・太安万侶が書いた当時の本文に近いのかを検討していきます。そのためには太安万侶がいた時代の日本語がどのようなものであったのかを知る必要があります。

宣長は、具体的に太安万侶がどんな日本語をしゃべっていたかを音声として復元することはできなかったと思います。ただ、すでに触れた「係り結び」と活用の関係のように、『古事記』には、宣長の時代にはすでに失われてしまった日本語の書記方法に法則があったことを発見しています。

のちに「上代特殊仮名遣い」と呼ばれるものです。宣長は、『古事記』の研究に35年を費やしています。『古事記』を読んで、「神代の時代から天皇家を中心に、わが国は素晴らしい国だったのだなぁ」と感慨に耽けっていたわけではありません。『古事記』から、『古事記』の時代の日本語と、その日本語によって記された現象と事実を再構成しようと考えていたのです。

『源氏物語』から「もののあはれ」を発見した

同じような作業を、宣長は『源氏物語』に対しても行っています。『源氏物語』『紫文要領』『源氏物語年紀考』など、宣長は『源氏物語』も40年ほど研究しています。

源氏物語図屏風「御幸」・「浮船」・「関谷」(写真=CC-Zero/Wikimedia Commons)
源氏物語図屏風「御幸」・「浮船」・「関谷」(写真=CC-Zero/Wikimedia Commons

そうして、「もののあはれ」というものを発見するのです。

儒教、仏教渡来以前の日本人独特の思考方法、情緒だと説明されていますが、宣長は『石上私淑言』に「見る物聞く事なすわざにふれて情こころの深く感ずる事」を「あはれ」と言うと記しています。

ことばでは表せない「何か」であって、それは古書を深く研究し、読み込んで初めて感じる「私淑」するような思いなのではないかと思うのです。

もし、タイムスリップすることができたとすれば、たった一夜でいいので、本居宣長先生に会って、どうすれば古い時代の本が本当に読めるようになるのか、訊いてみたいと思うのです。