「強調が入ると文末が変わる」

ふつうだったら、「この女を得む」「聞かざりき」となるはずなのですが、「こそ」や「なむ」などの強調する助詞を入れることで、文末の動詞も変わってしまうではないか! と、宣長は気づくのです。

同じようなものが、『伊勢物語』の「芥川」にもあります。

白玉か何ぞと人の問ひし時 露と答へて消えなましものを

我々は「ぞ」が係り助詞ということを知っているので、「ぞ」がどこに係るのかなぁと思って「問ひし」にの「し」を導き出すことができます。「白玉か何かと人の問ひき時」となるはずの本文が、「何ぞ」の「ぞ」の影響を受けて「問ひし」となっているのです。

宣長のすごさは、この文法に対する視点が異常に発達していたこと、そして同時に動詞など用言の活用が「普通の文章の場合」と、「係り助詞が使われた場合」とで異なっていて、どの活用に合致するという用例を集めて、それを検証したことなのです。

「祖国のすばらしさ」にふけっていたわけではない

②日本の文化・文学≠国学

日本という祖国、母国をぼくはとても尊く思いますが、万世一系とする天皇による国家統治をわが国の歴史の特色とし、『古事記』や『日本書紀』を歴史的事実とする「皇国史観」の持ち主ではありません。

別に自分の思想を語るために、この文章を書こうとしているわけではありませんが、本居宣長という人を、「皇国史観」の立場から「すごい!」と書いているのではないということを知ってほしいからなのです。

皇国史観の人たちは日本の文学や日本の文化や文学、神道に関する学問をよく「国学」と呼び、本居宣長の学問は「国学」の粋だという言い方で顕彰します。

宣長は「まぁいいけどさ」と言いながら、首を傾げているのではないかと思うのです。

じつは、宣長は、「皇国の事の学をば、和学或いは国学などという習いなれども、そはいたく悪き言いざま也」(『うひ山ぶみ』)と言っているのです。

また「和学国学などというは、皇国を外にしたる言いよう也」(同書)とも書いています。

それでは、日本の古典研究は何と呼ぶのが相応しいと、宣長は考えたのでしょうか。

「古学」です。