「脱成長」という言葉がそこかしこで使われるようになった。現代の「参勤交代」と称して、20年ほど前から都会と田舎の往復生活を送ってきた養老さんは「この20年、政府が何をやっても全然成長できなかった。日本は、先進国のトップを切って脱成長期に入ったのだろう。人間が手を入れて生かしてきた里山の自然に、これからの社会のヒントがあるのではないか」という──。(第2回/全3回)

※本稿は、養老孟司、中川恵一『養老先生、再び病院へ行く』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。

手入れして育てた里山こそが自然

僕は都市化するということは、自然を排除することで、脳で考えたものを具体化したものが都市だと言ってきました。

都市の反対側に位置するのが自然です。自然というと、人の手がまったく入っていない状態を想像するかもしれませんが、それが自然だという考え方はおかしいと思います。人と関わりがなければ存在しないのと同じことです。

それよりも、日本人が考えるべきは、手入れをして生かしてきた里山の自然でしょう。

白川郷の景観と五箇山
写真=iStock.com/rustyfox
※写真はイメージです

森林の手入れは手間がかかる

僕は毎年、島根県に行きますが、あそこは森林の手入れがよいのです。逆に広島県はそうでもない。島根県から峠を越えて広島県側に入ると、雪折れ(降り積もった雪の重みで枝や幹が折れること)した杉が片付けられていません。でも島根県のほうはきれいに片付いています。

「手入れ」がとても大事です。

国産材木は一時価格が非常に高くなって、それで日本の林業はうまくいくと思っていましたが、1970年にアメリカの圧力で関税が撤廃されて、外材が入ってくるようになりました。

その当時、国内の木材は国際価格の3倍くらいでした。そこに3分の1の価格の木材が入ってきたため、国内の木材の需要が激減したわけです。

今は国産木材を使った建築物に補助金が出るところもあるそうですが、採算をとりながら山林を維持していくのは大変なことです。