82歳で心筋梗塞を発症し、「病院嫌い」なのに病院のお世話になることになった解剖学者の養老孟司さん。現在は体調も回復し、平穏な日常を取り戻している。このたび1年数カ月ぶりに再診を決意した養老さんは「おかげさまで入院のことなどほぼ忘れてしまった。次に入院することがあるとすれば、もはや一巻の終わりということだろうと思う」という──。(第1回/全3回)

※本稿は、養老孟司、中川恵一『養老先生、再び病院へ行く』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。

「自然現象」を敵視する人々

自分の病気の話を他人にするのは、趣味が良くない。最近はプライヴァシーがどうとかいうけれど、そういうことではありません。

私が大学勤めでいたころ、恩師の中井準之助先生が旧制一高の同窓会に出たことがあります。戻られてから、「話題と言えば、病気と孫と勲章だよ」と噛んで吐き出すように言われました。以来自分の病気の話には気を付けようと思ってきました。

病気は自然現象です。これを敵視する人は意外に多い。自然は敵でも味方でもなく中立なのに、都会人は得てして病を敵とみなす。人間社会に埋没している人ほど、その傾向が強いといえます。

例えば政治家。コロナが始まったころ、アメリカのトランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領が典型でした。2人ともおかげでコロナのしっぺ返しを食らいました。中国の習近平主席はゼロ・コロナ政策を採って物議をかもしています。中国は極めて古い都市文明ですから、自然を敵視し、克服しようとする傾向が強いのです。

夕暮れの眺め
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病気は日常性を破壊する

病気は日常性を破壊します。日常は「有り難いもの」、つまり「滅多にないようなもの」ではありません。いわば「有り難くない」ものなので、破壊されない限り日常の有り難みは感じられません。

病気は日常を壊すことによって、人々にさまざまな洞察を与えます。親や子どもの死は人生の意義を深く考えさせますが、家族の病は家族の成員にいろいろなことを教えます。

現代人の日常は安定したものではありません。万事を徹底的に意識化していけば、世界は安定するはずだ、という誤った信念が人類を支配してきました。そうした世界が実現すれば、おそらく人は何も学ばなくなるでしょう。