先日も病院に行ったら、「検査の数値はどれも悪くありません」と言われたので、「じゃあ、なんで死んだらいいんですか」とうっかり訊いてしまいました。ろくな患者ではない。もうちょっと、素直になるべきではないかと反省しています。

気が付いたら自分が一番年上になっていた

年をとったせいか、「老い」についてよく聞かれるようになりました。自分1人でいたら、老いなんて思うはずもありませんから、老いというのは、他人が決めるものだと思います。

自分より若い人たちと山を歩いているとき、「船頭さん」(作詞・武内俊子、作曲・河村光陽の童謡)を歌われたことがありました。

今年60歳になる船頭の「おじいさん」は、年をとっても船をこぐときは元気、といった歌詞ですが、これを歌われたときに、初めて自分も年寄りなんだと思いました。僕がみんなよりも先にどんどん歩いて行ったら、後のほうで誰かがこれを歌っていたのです。

もう1つ、老いを感じたのは、いつのまにか自分が一番年上になっていたとき。

僕は大学生のころからいろんな集まりに顔を出していますが、いつも「なんで俺より年下のやつがいないんだ」と思っていました。僕は現役で大学に入っていますが、仲のよい同級生はみんな浪人しているから、自分が一番年下ということがしょっちゅうありました。

それがいつのまにか、自分が一番年上になっているのです。こういうときも年齢を感じます。

若い人と自分のあいだにある「歴然とした差」

でもそれは単なる位置的な関係性でしかありません。むしろ老いを意識するとしたら、身体的能力の衰えでしょう。

例えば目がよく見えなくなります。そのことは若い人と一緒に虫捕りに行くとよくわかります。若い人から「あそこに何かいる」と言われても、僕はぜんぜん気が付きません。そこには歴然とした差があります。

握力も衰えてくるから、ペットボトルのふたも簡単に開かなくなります。ペットボトルのふたが開けられないというのは、しゃくにさわるんですね。そんなこんなで、身体能力の衰えを感じてきています。