ちょっとした旅が、私たちには必要だ
2021年にアカデミー賞で主要3部門を受賞した映画『ノマドランド』は、高齢者が車でアメリカの季節労働者として働きながら旅する様子が描かれています。
自分の家をなくして帰る場所のある人もいますが、車の生活をする人もいます。
『ノマドランド』の放浪者が選んだのは自由でした。最後は家族に引き取られたり、施設に入ったりするかもしれません。旅の途中、ひとりで死ぬかもしれません。それでも自由を選びました。
こういう方たちは、自分がもし認知症になったらと心配はしないでしょう。ひとりで生きていくためには、予定を立て地図を見て考えます。
ときどき「アマゾン」でバイトをしたり、放浪者の集まるコミュニティに参加したりして人とも交流します。
この映画の中で美しいのは自然の景色です。私もひさしぶりに車でアメリカを走り抜けてみたくなりました。
行くことのかなわぬ未知な土地への憧れを持つことは、いくつになっても大事だと思います。
世界中だけでなく、あなたの住む地域にも知らない場所、未知な空間、歩いたことがない裏道があります。
『ノマドランド』の放浪者になれないまでも、毎日「どこに行ってみようかな」と考えるだけでもよい脳トレになるはずです。
高齢者や障害を持つ人は家に引っ込んでいろという風潮に抗うためにも、みんなで外に出ていきましょう。
大きな通りにはベンチを置いてもらい、公園やスーパーには無料で談話できる場所をつくる、駅の歩道橋にはエスカレーターをつける、段差をなくす。こういうことが必要とされているのに、ユニバーサルデザインという言葉が出てきて久しくなるわりには、町はあまり変わっていません。
介護保険制度は福祉を充実させたように見えますが、施設に集めるか、家に訪問することになり、なんだか閉じ込められているようです。歩けるうちは、杖でも押し車でも、ちょっとした旅に出られる町にすることが福祉の充実には必要なはずです。
だから、私は、「徘徊しても安全な町をつくってくれ」と言いたいのです。
相手の親切を引き出すのが、「ボケ力」
身近な旅をしてみましょうと言いました。
ただし、忘れっぽくなったり、自分の居場所がわからなくなったりして心配になることもあります。すると、「認知症になってきたな、外に出るのはよそう」という方向になります。
しかし、思ったより世間は高齢者にやさしい人が多いです。道がわからなくなったら若い人に聞いてみましょう。すぐにスマホで調べてくれて丁寧に教えてくれる人がたくさんいます。
「本当にボケてダメね」と言い、若い人に感謝しましょう。相手も気持ちがいいでしょう。
相手の親切を引き出すのが、「ボケ力」です。
道を教えてあげたり、席をゆずってあげたり、荷物を運んであげたり……人はちょっとした親切をすると気持ちのいいものです。接客のような仕事をしている人でも同じなのかもしれません。だから、老いたら、親切をされる隙をあえて持つことも大事かもしれません。
認知症の当事者で本も書かれている丹野智文さんという方がいます。2013年、39歳のときに若年性アルツハイマー病と診断されました。
診断される3年前から物忘れが始まり、同僚の名前も忘れるようになって受診したそうです。診断されて、どんなに絶望したことでしょう。