お客様の名前を知っておくことがリスクマネジメントに
バイネームを使う意図は、「歓迎の意思表示」だけではありません。
私は、ほかにも明確な意図を持ってバイネームを使っていました。
たとえば、アテンダントシート(非常口サイドにあるCA用の席)の前にお座りになるお客様へのバイネーム。チーフ業務をするようになった頃から、自分の前にお座りになるお客様のお名前は、必ず事前に調べていました。
担当エリアのお客様や顧客様のお名前は事前に知らされますが、そうでない方のお名前はわかりません。搭乗がはじまる前のごくわずかな一瞬、いまだと思ったら走って搭乗ゲートに行き、地上スタッフに調べてもらいました。
そして、離陸前にアテンダントシートの前にお座りになったお客様に、「井上様、いつもご搭乗ありがとうございます。桜井と申します。本日は、どうぞよろしくお願いします」と、必ず言葉を交わすようにしていました。
なぜ、このようにしたのかというと、万が一の緊急時のためです。
非常口付近の座席に座ったことのある方ならご存じかもしれませんが、その座席のお客様には「ここは非常口に接しています。航空機ドアの開閉等、緊急脱出の援助をお願いします」とお伝えし、離陸前に非常口用の説明書をお渡しすることが義務づけられています。
緊急時には、全員が90秒以内に脱出できるよう飛行機は設計されていますが、お客様のご協力がなければそれはできません。とくに、非常口付近に座るお客様に脱出の援助をしていただくことが必要です。
CAが乗務する一番の目的は、保安要員としての任務。とくに自分が客室の責任者である場合は、1秒たりともムダにできません。
スムーズに脱出作業を終えるためにも、ご協力いただく可能性のあるお客様のお名前を事前にお呼びして、心の距離を縮めておく必要があるのです。
「一期一会」は、接遇だけの言葉ではないと私は考えます。
たとえば、命の現場。医療現場です。看護師さんもバイネームをよく使います。
私は救急車で搬送されたとき、「患者さん聞こえますか?」ではなく「桜井さん、ここは病院です。聞こえますか?」と確認されました。意識が混濁しても名前を呼ばれたときは、脳は自分に声をかけられていると自覚します。
このように、いまという瞬間は二度とないことを意識しなければいけないときもあるのです。緊急事態に備えるためにも、お客様のお名前を知っておくことは立派なリスクマネジメントだと言えます。
「チームワークを高める」ためにバイネームを使う
バイネームは、お客様の前で使うだけのものではありません。
たとえば、CA間でお願いごとをするときに、「お客様にこのコーヒーをお持ちしてください」ではなく、「田中様にこのコーヒーをお持ちしてください」と名前を明確にすることで、ミスがぐっと減ります。
CAが担当するお客様は大勢いるので、依頼されても忘れてしまうこともあります。しかし、名前を伝えてお願いすることで記憶が鮮明になるのです。
これはチームで仕事をするときに、必要なことです。
さらに、私は地上スタッフの名前を、必ず呼ぶようにしていました。
胸にはネームバッジがあるので、それを確認して「加藤さん、お忙しい時間に申し訳ありませんが、この席のお客様のお名前を教えていただけますか?」。
このように名前を呼ぶだけで、「1つの便を一緒に飛ばす」という共通の目的を持った、仲間意識が生まれます。すると、親しみを感じ仕事がより楽しくなるのです。
個人のプライバシーがあるので、いつでもどこでも大声でお名前を呼ぶことはできません。しかし、ここぞというタイミングでのバイネームは、どのシーンでも大きな意味を持つということを、ぜひ覚えておいてください。