主婦から見たらただの調理器具だが…
枕のちょうど真ん中、真っすぐ横に向けて、丁寧に置かれていた。私はそれをベルトの後ろにさしてシャツで隠しリビングに戻った。「あったよ」と伝えるとミッキーさんは驚いて、「どうしてわかったの?」とびっくりしながら笑っている。本人としては考えて隠したつもりだったのにそんなにすぐ見つかったことが不思議で仕方がないという表情だった。
大事に至らず一件落着だったが、こんなときは「ドキドキレポート(*9)」を書くことになっていると聞いて、翌朝、1時間残業して私が書いた。
こうした出来事は常勤・非常勤を問わず職員全員に共有されるのだが、利用者の動向に無頓着な職員もいる。テスト勤務初日に私が“洗礼”を浴びた非常勤職員の下田しげ子さんがそのひとりだ。包丁研ぎ器が2階にあり、1階の包丁をときどき2階に持っていくことがある。そんなとき、下田さんは包丁を2、3本両手にブラブラぶら下げて歩いていく。ミッキーさんの目玉はその間、ずっとその刃先を追っている。たまりかねて声をかけた。
「下田さん、すみませんが、包丁を運ぶときはミッキーさんの目につかないようにしてもらえませんか」
「はあ? でもこれ、調理道具ですからねえ」
薄い唇を曲げて薄笑いの表情をするだけで、新参者の言うことに応じてくれることはなかった。
長いあいだ、主婦をやっている(*10)と包丁はどうしても調理器具にしか見えないのだろう。下田さんを説得するのをあきらめ、包丁をぶらんぶらんされるたびに、ミッキーさんの視線を気にして、ヒヤヒヤと肝を冷やす心配性の私であった。
(*9)重大な事案が起こった場合には、通常の日報とは別の報告書を書くことになっていて、「ホームももとせ」では「ドキドキレポート」と称されていた。A4の専用用紙があり、これは職員間だけではなく、ホーム長、エリア長も閲覧する。
(*10)下田さんは主婦として3人の子どもを育てあげたという。子どもたちもみな成人し、ご主人と二人になって時間ができたので、「ホームももとせ」の非常勤職員として働いていた。下田さんがいい加減に仕事をしているのかといえば、そんなことはない。下田さんも献身的に一生懸命働いていたし、彼女がいなければ、つねに人手不足だったホームのシフトはまわらなくなってしまうだろう。