※本稿は、松本孝夫『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
換気扇に向かって意味不明な言葉でつぶやき続け…
テスト勤務の最終日4日目を迎えるころには仕事にもだんだん慣れてきた。忙しくなる夕食準備の時間帯、私は1階と2階を往復(*1)していた。
その間もできる限り、利用者への声がけに努めていたが、ミッキーさんだけは素通りをしていた。というのも、ミッキーさんは大柄で表情がないので何を考えているかわからず、自傷癖があり、以前包丁で自分の頭を刺して血だらけになったこと、さらに傷害事件を起こしたことなどを聞いていたからだった。
ホームでは、利用者の障害特性を非常勤職員に説明することはない。だから、私たち非常勤職員たちは利用者がどういう障害なのかわからないままで対応していた。専門家の障害認定書には、具体的に書かれているのかもしれないが、私たちにはそれを見る機会はなかった。
したがって、非常勤職員にとって大事なこと(*2)は「障害の名前」よりも「症状」である。その点、ミッキーさんの「症状」は職員にとって扱いづらいものだった。2階から階段を下りてくる途中で、リビングを見下ろすと、食事前で席に着いた利用者たちがにぎやかにしている。
しかし、その中で誰にも声をかけられず、ただ座っているミッキーさんのまわりだけ孤独のバリアに包まれているように見えた。なんとなく、まずいな、という気がした。ほかの職員が気づいて声がけをしてくれないかな、と都合のよいことを考えた。突然、ミッキーさんが立ち上がり、換気扇の下に直立した。どうなるのだろうと心配で私は眺めていた。
ミッキーさんはお辞儀をすると、換気扇に向かって、強い口調で何か言い始めた。「集団生活は……」「心をきれいに……」という言葉が聞こえてくるが、内容は脈絡がなくて意味不明だ。
「あなたは……」とも言っているから、誰かと論争している感じだった。遊軍職員の小林君がつぶやくように言った。「このおしゃべりが喧嘩腰になってきたら危険水域(*3)です。危ないから早めに止めないと……」
(*1)1階フロアと2階フロアにはそれぞれリビング、キッチン、トイレ、風呂場があり、ほぼ同じ間取りになっている。ただ調理器具や食材の貸し借りなどがあるため、夕食時になると職員は頻繁に1、2階を行き来することになる。
(*2)とくに非常勤職員たちは「障害の名前」などを深く考えたりしない。年配の主婦が多く、彼女たちはこれまで生きてきた世間の常識どおりに接して、利用者を「素直・素直じゃない」「言うことを聞く・聞かない」などと評価しながら世話を焼いていた。だが、それが悪いわけではない。彼女たちは利用者を見下したりすることはなかったし、献身的に仕事に従事していた。
(*3)顔の表情や雰囲気が不穏さを表出している。反応が鈍くなったり、手の震え(震顫)が激しくなったりすると危険水域。私もこの仕事に就いて、2〜3カ月ほど経つうちにミッキーさんの危険水域を読み取れるようになった。