※本稿は、松本孝夫『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
生活保護を受けながら施設で暮らす19歳の少年
なぜ障害者ホームにいるのだろう、と思うような利用者が何人かいた。どこが障害なのだろうと思って観察しても、それらしいところが見あたらない。たとえば、まだ19歳の高野洋三君という小柄な若者がいた。野性味があるジャニーズ系の顔立ちで、ふつうの学校などでもモテそうだ。
地元の児童養護施設を18歳で卒業して半年ほど経って、「ホームももとせ」に入居した。ホームでは「タカさん」と呼ばれていた。あとになって知ったが、父親はトラック運転手で、母親は彼が小学生のころに亡くなっている。彼は末っ子で姉と兄がいるものの、上の2人も障害者なので、父親は次男の世話ができなかったようだ。
養護学校を卒業して少年期から青年期にかかる大切な時期に、生活の自立をする場もないということから、相談員や支援員が動き、ようやくグループホームに入居することができた。その費用は障害者年金と不足分は生活保護でまかなっているらしい。彼が働いて稼ぎ出したら生活保護は減額か中止になるのだろう。親はいても世帯を切り離して、生活保護を受けている利用者(*1)はほかにもかなりいた。
親が払う場合にしても所得に準じた公費補助があるから、それほどの金額にはならない。タカさんは人見知りで、最初はなかなか打ち解けなかった。出会って2カ月ほど経って、話ができるようになってからこんな会話をした。
(*1)「ホームももとせ」には、生活保護と障害年金を同時に受給している利用者が何人もいる。この場合、障害年金分は生活保護費から差し引かれるので総額は同じである。それなら、なぜ両方受けるのかといえば、就労支援を受けてレベルアップし、一定収入を得られるようになれば、生活保護を受けず障害年金だけで生活できるようになる。そこを目標にするのだ。