「刑務所では何一つ悪事を働いていない」

とはいえ、ストレスを抑制できず、凶悪殺人事件を起こしてしまった人間に同情などしていいのだろうか。殺害方法はあまりに残酷だ。ハメルは私に想像できるような人格の持ち主ではないのかもしれない。一部の証人は、彼を「善人」と語っているが、一部の証人は「悪魔」だと話している。ところが、これまでのところ、彼から悪魔の匂いがまるでしてこなかった。

全米でもっとも治安の悪い刑務所のひとつといわれるポランスキー刑務所で、死刑囚監房は特に荒れているのではないか。ハメルは、ここに送られてきてから、本当に一度も問題を起こしていないのか。事件内容や死刑判決を考えると、彼にはもう一つの顔があるのかもしれない。

裁判資料の中で、高校時代に1年間ほど付き合った恋人のステファニー・ベネットが、若かりし日のハメルについて、こう語っている。

〈結婚を持ちかけられ、私から別れることになってしまったのですが、彼が暴力的になっている姿は見たことがなかった。私にも普通に接してくれていました〉

その証言に嘘はないだろう。窓越しのハメルからは、威圧感が漂ってこない。わざわざスペインからやってきて面会する、見ず知らずのアジア人の不慣れな英語にも、真剣に耳を傾けてくれていた。ハメルは、私に言い聞かすように、こう繰り返した。

「(タラント郡での経験も含め)刑務所に入ってからは、何ひとつ悪事を働いていません。刑務官に命じられたことはちゃんとしてきました。仲間の闘争にも関心がないし、刑務官に迷惑をかけたこともありません」

面会を除き、刑務所内の取材は禁止されている。現役の刑務所長や職員らへの聞き取り調査も許可が下りない。受刑者が実際にどのような獄中生活を送っているのかを見たい気持ちもあったが、それは不可能だった。

ネット上には、ポランスキー刑務所の独房写真がいくつか公開されている。白壁で囲まれた独房には、蛍光灯がひとつ。テレビボードのような木製の台があるが、これがベッドだ。その上に布団が置かれ、下のスペースにはシーツや食料や靴などが無造作に突っ込まれている。

刑務所で祈りを捧げる毎日

ベッドの横には、刑務所専用のステンレス鋼トイレが設置されている。洗濯した白い囚人服は、狭い壁と壁の間に伸びた針金に引っ掛けて乾燥させている。天井すれすれの壁には、横1.5メートル、縦5、6センチほどの穴がある。通気口の役目を果たすだけで、外を眺めることはできないだろう。

頭がおかしくなりそうな独房である。死刑囚でなくとも、この中で5年も10年も暮らすと考えるだけで、精神を病んでしまいそうだ。尊厳のない劣悪な条件の中で、彼らは「生きている」のだ。

ハメルは先ほど、「以前は無神論者だった」と言った。では、「今は、毎日、祈りを捧げているのか」と尋ねてみた。それ以外、救いの道がないと思えたからだ。

「ええ、毎朝、お祈りしています。私は、無教派(Non-Denominational)のクリスチャンです」

祈る囚人
写真=iStock.com/Juleta Martirosyan
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「無教派」とは、特定の教派や教団に属さないことを意味する。アメリカ南部は信仰に篤い土地で、テキサス州には、ありとあらゆる場所に教会が点在する。それこそ、数百メートルに1軒のペースで、三角形の大きな建物が視界に入ってくる。「無教派」の大型教会も多数存在する。

毎日、祈り続ければ、独房の中でも健全な精神状態を維持できるのか。少なくとも、ハメルの精神状態は乱れているように見えなかった。私は、「ストレスを抱えていないのか」というありきたりな疑問を投げてみた。すると、事件を話す時の様子とは違い、柔らかい表情で語り始めた。