「シティポップ」として世界的に評価される

アルファレコードができたときに、村井邦彦が突然僕に〈社是〉を作ろうと言い出した。

「社是ってなんだい?」とたずねると、

「当社の経営コンセプトだよ! わが社は音楽産業を通じて社会に貢献してどうのこうのというやつだよ」
「わからないからクニが作ってよ」
「オッケー」

ということで、2、3日して村井邦彦が作ってきた社是は、

一、犬も歩けば棒に当たる
一、毒も食らわば皿まで
一、駄目でもともと

というものだった。僕は大いに感心して大賛成をし、それを大きく紙に書いて会議室に貼り出した。

アルファレコードは山手線田町駅の裏側の改札を出てすぐの場所にあった。

ヤナセ自動車が建てたこのビルには、全面にさまざまなイラストレーションが描かれている遊び心いっぱいの楽しい建物だった。

5階には、村井が精魂込めたスタジオ、通称〈スタジオA〉が設えられた。

スタジオの音楽機材はその時代の最新鋭のマルチ・チャンネル・システムで、スタジオ内装には木材を多用し、暖かみと同時に柔らかな音響を実現した。

このスタジオからユーミン、YMO、サーカス、カシオペアなどの都会的アーティスト群のヒット曲が次々と生み出されていく。

このとき制作された楽曲が、21世紀に「シティポップ」として世界的に評価されるとは思いもよらなかったが、優れたミュージシャンが自由に活躍できるよう、お金をかけて創った作品の価値はこれからもますます高まるだろう。

途方もなく呑気なやり方

スタジオAにまつわるこんなエピソードがある。

セッション・グループ〈ティン・パン・アレー〉とのレコーディングのための編曲作業について細野晴臣にたずねると、例のマジメな顔で「ティン・パン・アレーの4名でヘッドアレンジします」と。

「ヘッドアレンジってなに?」
「いわゆる編曲作業です」
「どこで?」
「もちろんスタジオですよ」

という話なので任せていたところ、彼等はなんと1時間の使用料が4万円もする正式録音スタジオで4名集まって、そこで初めて楽曲の編曲の相談を始めるという途方もなく呑気なやり方であった。

おまけに担当ディレクターの有賀恒夫は、スタジオの調整室を陣取り、居眠り混じりにそれを見物しているという至極いい加減な風景である。

有賀恒夫は背が低いので「ビーチ」と呼ばれていた。その頃のミュージシャンたちの間で流行っていた反対コトバの表現で、チビが「ビーチ」なのである。

社長の村井邦彦は、普段の呑気な口調とは裏腹に短気な「瞬間湯沸かし器」である。

このスタジオでのいい加減なのんびりした状態を知るや否や、秘書の江部智子に向かって言った。

「ビーチのスットコドッコイ! 社長室にすぐに来いと伝えろ!」

クールな江部智子はすぐに内線電話で有賀に電話。

「ビーチのスットコドッコイ! 社長室にすぐに来い! ……と申しております」

と、そのまま伝えた話は伝説になった。

メキシコの曲を探し出し、録音するように命じた

〈ハイ・ファイ・セット〉は、細野晴臣によって考案されたネーミングだ。

これは、村井邦彦が育てたコーラスグループの〈赤い鳥〉がふたつのグループに分解し、山本潤子を中心とした3人組がアルファレコードに所属することになって結成されたコーラスグループの名前である。

さっそくハイ・ファイ・セットのレコーディングが始まったが、ディレクターのビーチとメンバーたちはシンガーソングライターにこだわっており、出来上がってくる作品はすべてそこそこで、村井や僕にピンとくるものがない。

要するに、シングル化して大ヒットする曲がないのだ。

川添象郎『象の記憶』(DUBOOKS)
川添象郎『象の記憶』(DUBOOKS)

そこで、彼らの希望を無視して、そのころのメキシコの曲を探し出し、歌謡曲ジャンルの天才作詞家・なかにし礼に作詞してもらい、それを録音するようビーチに命令した。

メンバーとビーチは激しく抵抗していたが、強引に録音させた。

メキシコの叙情的なメロディーとなかにし礼の独特な色気たっぷりな歌詞、そして山本潤子の澄んだ爽やかな高音の声が見事にマッチして、この「フィーリング」という曲はハイ・ファイ・セットのデビュー曲になった。

作品が出来上がったとき、村井と僕は社長室で視聴し、2人で顔を見合わせて足をひくつかせ「これは大ヒットだ!」と喜んだ。

そのとおり、このハイ・ファイ・セットのデビューシングル「フィーリング」は100万枚を超すスマッシュヒット曲になった。

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