2020年に亡くなった野球評論家の野村克也さんは、どんな監督だったのか。プロ野球解説者の江本孟紀さんは「楽天監督時代には7年連続Bクラスも経験した。それでも名監督と呼ばれるのは、勝っているように錯覚させるのがうまかったからだ」という――。

※本稿は、江本孟紀『野村克也解体新書 完全版 ノムさんは本当にスゴイのか?』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。

野村克也監督
2009年10月22日、4回表、先制したものの、すぐその裏、日本ハムに同点に追いつかれベンチでぼやく楽天の野村克也監督(札幌ドーム)

対抗すればするほどハマる「ささやき戦術」

長嶋さんと王さんには、ささやき戦術が通じなかったのは有名な話だ。

馬耳東風の長嶋さんは、とにかく人の話を聞かないので通じようがない。王さんの集中力は尋常でないので、ささやきぐらいではバッティングが乱れることはないのだ。

いろいろな選手が野村監督のささやき戦術に対抗したが、みんな敗れた。

対抗しようと思うこと自体、そもそも苦手意識があり、対策を考えようと思う時点で、すでに野村監督の術中にはまっているということなのだ。

東映の大杉おおすぎ勝男かつおは、「うるせえ!」と怒鳴った。それに対して「先輩に向かってなんてこと言うんだ!」と野村監督は怒鳴り返した。大杉さんの冷静さをなくすために、わざとケンカ腰になって挑発したのだ。カッカしてしまってはうまく打つことなんてできない。

同じく東映のはく仁天じんてんは耳栓をして打席に入った。耳栓をしても小さく聞こえてしまうし、そんなことをしてバッティングに集中できるはずもなく、簡単に打ち取られる。

張本さんのことはすごく怖がっていた

ある試合で、野村監督が立ち上がって両手をバタバタした。あとで訊いたらバッターがをしたという。ささやきに対抗しておならとは、おおらかな時代だ。

張本さんは野村監督のミットをバットで叩くという方法を取った。インコースにミットをかまえたときに、わざと空振りして左腕を伸ばしミットを叩く。野村監督はそれを何度もやられてすごく怖がっていた。ささやきに対抗というか、張本さんはそうやってきらいなキャッチャーを牽制していたのだ。

野村監督は「そうきたか。じゃ次はこうしよう」というスタンスで、ある種の余裕を持ってバッターとのかけひきを楽しんでいた。だから必死に対抗しても勝てないのだ。

そのへんは麻雀マージャンの打ち方と近いものがある。野村監督はわりと麻雀が好きだったので、よくいっしょに遊んだ。慎重でねちっこい麻雀だったが、強かったという記憶はない。でもボロ負けはしなかった。勝ちにこだわるよりもかけひきを楽しんでいたのだろう。ちなみに江夏は勝つまでやめなかった。