生き残るために編み出した勝ちパターン
野村監督は勝つのがうまい。
いや、“勝っているように錯覚させるのがうまい”と言ったほうが正しい。だから彼は生き残れたのだ。
7年連続Bクラスでも、実績を残してきたような印象を与える。それが野村監督だ。実際、楽天最後の年に2位になって、過去7年間の成績をなきものにしてしまった。
もっというと、チームの勝敗など野村監督には関係ないのだ。
自分の印象を残すことさえできれば、それでいい。楽天時代のぼやき会見がいい例である。試合で負けても、勝ったチームよりもだれよりも、最後は自分が目立って終わるというのがぼやき会見の目的だから。ぼやき会見のために試合が用意されているという、主客転倒の構図をつくりあげてしまった。これが野村監督の勝ち方である。
監督として成功する「ひとつの原則」
星野さんが監督をすると、たまにリーグ優勝する。
2003年にBクラスの阪神をリーグ優勝させると“健康上の理由”で逃げるように退任した。再びBクラスに戻ったりすると“Bクラスの阪神を優勝させた名監督”のイメージが壊れるからだ。彼は野村監督と同じようにBクラスを帳消しにするのがとてもうまい。
でも、2008年の北京オリンピックで「あれ?」ってみんなが気づいた。単発でやったら実力がバレちゃったという。
監督で成功するには、ひとつの原則がある。負けたら選手のせいにして、勝ったら自分の手柄にする。これが名監督らしく見せるコツである。
負けたときに、「これは監督である自分の責任です」などという、そんなきれいごとは高校野球まで。プロは絶対にそんなことを言ってはならない。野村監督はこの原則を徹底して守っている。
ところが王さんは、「この負けは自分の責任だ」と言う。それは「いや、そんなことないですよ」とみんなが言ってくれることをわかっているから。そういう状況を計算して“責任をかぶる王貞治”という正義の味方のイメージをうまくつくりあげた。王さんの最後の年、ソフトバンクは8月まで2位だったが最終的には最下位という成績。それでも王さんは英雄だった。
“凡人の野村克也”がよく見えていた
そういうものがなにもないのが長嶋さんだ。だから長嶋さんは図抜けている。
勝っても負けても批判されても“長嶋茂雄”という位置がある。この位置は決して揺るがない。長嶋さんは勝っても「自分の采配が当たった」とは言わないし、負けても「選手が悪い」とは言わない。かといって、選手が大活躍しても必要以上にほめることもしない。
「よかったですねえ」と言うだけ。
そういう図抜けた長嶋さんに野村監督はあこがれている。