東海大の「黄金世代」から消えた男

身長156cmの羽生拓矢は“小さなモンスター”だった。八千代松陰高(千葉)時代は5000mで当時の高1最高タイム(14分00秒55)と同高2の最高タイム(13分52秒98)をマーク。全国高校駅伝は1年時に3区で区間2位(日本人トップ)、3年時は1区で2位と同世代のなかで圧倒的な強さを誇った。

全国高校駅伝1区で上位に入った選手が大挙して入学した「黄金世代」の一員として東海大に入学。当時の羽生は自信に満ち溢れていた。

「周囲から『羽生ならオリンピックに行けるよ』という期待が大きかったんです。僕も箱根駅伝よりオリンピックや世界選手権を目指したい、という気持ちが強かった。自分でも世代トップを意識していたので、学生駅伝の区間賞は当たり前だと思っていたんです。まさか大学であんなふうになるとは思ってもいなかった……」

走る人と影
写真=iStock.com/Tempura
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羽生のイメージでは1年時から学生駅伝で大活躍して、トラック種目で日本選手権に参戦。上位争いできる選手に成長して、大学を卒業する頃には世界大会に近づいているはずだった。しかし、現実はほど遠かった。入学して半年過ぎた頃には、「これは全然思い描いていたものと違うぞ」という違和感が強くなっていた。

一方、同期の黄金世代は1年時の10月、出雲駅伝でセンセーショナルなデビューを飾る。ルーキーだった鬼塚翔太、館澤亨次、關颯人を1~3区に配置。東海大は3区でトップに立ったのだ。

「(当時は)結果でいえば鬼塚や關と差はついていたんですけど、調子さえ戻れば、正直負けないだろうなと思っていたんです」