箱根駅伝では給水係や選手にタイム差を知らせる裏方

羽生は翌11月の全日本大学駅伝に7区で出場するも区間14位。その後、表舞台から姿を消すことになる。

「ちょっと投げやりになっちゃったんですよね。今の状況で全力を出すという、前向きな思考になれなくて、自己ベストを狙えないなら試合に出る意味はないという考えでした。当時は感覚をすごく大事にしていたので、状態が良いときしか走っていなかったんです。これが良くないことだと分かってはいたんですけど、時間が解決してくれるだろうなと思っていました」

同学年のルーキー5人が出場した箱根駅伝が終わった後、羽生は「もっとがむしゃらに練習しなきゃダメだ」と感じたという。しかし、身体がついてこなかった。

「疲れていたら休むことを優先していたような選手だったので、故障が多かったんですよ。1回故障すると、別の部位まで痛くなって、負の連鎖が止まらなくなりました。自分でもどうしようもなくなっちゃって、この先は無理だろうなという思いが日に日に強くなっていったんです」

箱根駅伝では給水係や選手にタイム差を知らせる裏方を担った。「正直、恥ずかしかったですね。できれば、その場にいたくない感じでした」と世代最強のプライドはズタズタにされた。

給水所
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入学時からレギュラー候補といえるAチームで練習してきた羽生だが、1年時の箱根メンバーから外れたことでBチームに転落。いつしかCチームや故障からの復帰を目指すDチームが彼の居場所になっていた。

「Bに落ちたときは、もう一回這い上がってやろうと思っていたんです。でも、走っては故障するというのを繰り返して、徐々に意欲がなくなっていきました。CやDにいるのが当たり前みたいな感じになって、そこにいるのが恥ずかしいと感じるプライドさえなくなったんです」

2年時は故障でほとんどレースに出ることができず、3年時は「思い出作り」の意味もあり、何本かレースに出場したという。羽生が大学3年時に東海大は箱根駅伝で悲願の初優勝を飾っているが、勝利の味はまったくしなかった。

「正直、全然うれしくなかった。他大学が優勝してる感覚でしたね」

キラキラに輝いた高校時代を過ごした長距離ランナーは、陸上界から消えかかっていた。