「利益追求とCSR」バランスをどう取るか

【小林】92年に発表した「よい会社構想」で、事業活動に「強い」ことのほか、社会に「やさしい」こととともに、社員にとって仕事や人生が「おもしろい」ことを掲げたのも、それがすべてのエンジンになると考えたからです。おもしろいと思えなければ、仕事はよくならない。仕事がよくならなければ、会社は強くならないし、社会貢献もできない。

そこで、ニューワークウェイのもとで斬新な人事制度が次々生まれました。自分の専門分野以外の研究をするために、最大3カ月の有給休暇がとれるテーマ休暇制度、勤続3年以上の社員が会社に有効と認められた国内外の留学に際して、1~2年の休職ができる教育休職制度など、「富士ゼロックスはここまでやるのか」と驚かれました。中でも、社会貢献や企業のイメージアップにつながる活動をプラス評価の対象にする特別加点評価制度は、「仕事以外の活動に会社が報酬を出す」と大きな反響を呼びました。

ニューワークウェイは既存の概念にとらわれないことを思いきってやるという、企業のフレキシブルな姿勢を社会に示した点で大きな意味を持ちました。

小林陽太郎
1933年、ロンドンに生まれる。56年、慶應義塾大学経済学部卒業。58年、ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了後、富士写真フイルム入社。63年、富士ゼロックスに転じる。68年、取締役企画部長。70年、取締役販売本部長としてビューティフルキャンペーンを展開する。72年、常務取締役営業本部長。76年、取締役副社長として、全社的に品質管理(TQC)を推進。78年、代表取締役社長。80年、デミング賞実施賞受賞。87年、米国ゼロックス・コーポレーション取締役就任。90年、臨時行政改革推進審議会(第三次行革審)委員。92年、代表取締役会長。98年、日本アスペン研究所設立に伴い、会長に就任。99年、経済同友会代表幹事就任。2002年、世界経済フォーラム(ダボス会議)共同議長。04年、取締役会長。06年、相談役最高顧問。09年、退任。
――その一方で、小林氏としては、TQCをベースにニューワークウェイを実施するつもりが、結果的に「TQCが犠牲になった面もあることは否定できない」という。TQCが個性を潰すと危惧されたのとは対照的に、個性を活かす「おもしろさ」が、逆にある種の甘えを生んだ面もあったと話す。
90年代末まで続いたニューワークウェイの約10年間は小林氏にとって、組織としての効率性を高める「Why」の追求と、個人の個性や創造性を重視する「Why not」の推進を両立させる難しさを身をもって体験した期間でもあった。
ただ、「よい会社構想」で社会や個人に向けた視線は、経済同友会代表幹事として提言した「21世紀宣言」の中で、経済性だけでなく、社会性や人間性の評価軸も加えることで「市場の進化」を促す“社会派経済人”としての思想に結実していった。その小林氏の目には今の日本企業がおかれた状況はどのように映っているのだろうか。

【小林】リーマン・ショックの前と後で何が変わったか。一つには、アメリカの経済システムそのものが拝金主義に極端に偏っていたことが歴然としました。

日本でも90年代に入るころから、グローバル競争に立ち遅れないためには、市場経済に徹すべきであるとして、アメリカが中心となって進めてきた市場原理主義やマーケット価値の極大主義に追随しようとする動きが強まってきました。

これに対し、市場原理も必要だが、企業のあり方として、それがすべてではないのではないかと考える人たちも少なからずいました。私も「21世紀宣言」の中で、企業と社会の関係を重視しました。リーマン・ショックを経た今、「市場の進化」を求める声が注目されるようになってきたのは間違いないでしょう。

もう1つの動きは新興国の台頭です。世界の主たる舞台が新興国へと変わりつつあり、日本企業もそこで存在意義を示さなければなりません。他方、成熟化が進んだ先進国においても企業の果たすべき役割は依然としてあります。新興国であろうと、成熟国であろうと、企業は社会の要請に応えていかなければならない。同時に、利益の追求も求められる。その相克の中でバランスの取り方が非常に難しくなっている。今、リーダーに問われるのは、経済性と社会性、人間性を両立させる判断力と決断力です。

※すべて雑誌掲載当時

(岡倉禎志=撮影)