――社員の誰もが個人プレーで動く、超個性派集団。草創期の富士ゼロックスはミンツバーグ教授が挙げるマネジメントの三要素のうち、製品の性能のよさをベースに社員一人ひとりのクラフトで収益を上げる企業体だった。ただ、その手法が通用したのは高度成長が前提だった。
73年、日本を第一次オイルショックが襲う。景気は一気に減速。富士ゼロックスは74年度決算で初の減益を記録する。翌75年度も解約が続出。奈落の底に落ちるようにシェアは激減。存亡の危機に直面する中で副社長だった小林氏が決断したのはTQC(全社的品質管理)を導入し、マネジメントの舵をクラフトからサイエンスへと切ることだった。

【小林】なぜ、オイルショックの波をもろに食らったのか。レンタル制は裏返せば、いつでも返却できる仕組みです。ただそこには、性能がいいのだから、返却などあるはずないという自惚れやおごりがありました。ゼログラフィーの特許も順次期限切れになり、国内の競合メーカーも次々と普通紙複写機の開発に乗り出してきましたが、どこか高をくくっている傲慢さもあった。 その隙を突かれたのがオイルショックでした。

「ゼロックスは性能はいいけれど高いので一度返させてもらう」。コスト削減を迫られ、解約を求める顧客が後を絶たない。一度離れた顧客はオイルショックの波が収まっても戻ってきませんでした。

どうすれば会社を強くすることができるのか。どうすれば顧客に喜んでもらえる商品・サービスを持続的に提供するシステムをつくれるのか。個人プレーを脱し、科学的で合理的な手法で経営体質と働き方を抜本的に変えない限り生き残れない。76年から全社を挙げてTQCに取り組み始めたのは、このままでは会社は潰れるという危機感からでした。

超個性派集団からTQCの徹底へ。TQCの基本は科学的管理法により、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Action)を回す問題解決のプロセスにあります。それは「なぜ=Why」を問うことから始まります。問題点をあぶり出し、「なぜ」を突き詰めて原因を追求し、解決策を立案し(Plan)、実行し(Do)、効果をデータで検証し(Check)、残された課題の改善に向けた処置をする(Action)。「なぜ」から始まるサイクルを5回繰り返し、「真因」を突き止め、問題の根本的な解決を図る。これに小集団活動として取り組み、一人ひとりの働き方を変えるのです。

TQCは多くは開発や生産現場で行われますが、われわれは個人プレー色の強い営業についても、組織的に効率を高める科学的手法を見いだそうとしました。

それまでは、顧客に適合機種を届けることより、とにかく多くの機械をおいてくればいいという発想になりがちでした。そこで、営業のどのプロセスをどのように改善したらよい結果が得られるか、データの分析を来る日も来る日も重ねました。その結果、見込み客をしっかり選定し、顧客の要求や期待の把握に努めている営業マンはデモンストレーションから成約に至る確率が高いことがわかり、デモをかける顧客リストの整備が重要であることを突き止めます。

ここから、「(1)見込み客の選定→(2)個別の見込み客の現状調査→(3)継続訪問による進度アップ→(4)提案→(5)デモンストレーション→(6)調印→(7)フォロー」という独自の科学的営業手法が生まれます。自分でノウハウを抱え込んでいた営業マンにとって、標準化による共有はカルチャーショックでした。

もう1つの柱は、品質が向上してきた競合メーカーに負けない「ダントツ商品」をTQCをとおしていち早く市場に投入することでした。従来4年かかっていたリードタイムを半分の2年に短縮できないか。それまでは開発や製造や営業の各フェーズについて、1つのフェーズが終わってから次のフェーズに進むやり方だったのを、各フェーズを相互に少しオーバーラップさせながら期間を短縮する。

マグロの刺身が一枚ずつ重なるように盛られる姿に例えて「刺身状開発」と呼んだ方法から生まれたのが中型複写機FX3500です。78年に発売されると、高速機を上回る性能が高く評価され、コピー市場に旋風を巻き起こすほどのヒット商品になりました。