コロナ禍で開催が見送られていた新年一般参賀が、来年1月2日、3年ぶりに実施される。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「新年一般参賀が今の形になるまでには変遷があり、昭和天皇の意外な行動がきっかけとなっている」という――。
1969年1月2日、新年一般参賀の人たちに応えられる天皇ご一家。(左から)常陸宮正仁さま、皇太子さま(今の上皇さま)、天皇陛下(昭和天皇)、皇后さま(香淳皇后)、皇太子妃美智子さま(今の上皇后さま)、常陸宮妃華子さま
写真=時事通信フォト
1969年1月2日、新年一般参賀の人たちに応えられる天皇ご一家。(左から)常陸宮正仁さま、皇太子さま(今の上皇さま)、天皇陛下(昭和天皇)、皇后さま(香淳皇后)、皇太子妃美智子さま(今の上皇后さま)、常陸宮妃華子さま

3年ぶりの一般参賀は倍率10.6倍の狭き門

長年、1月2日には皇居で「新年一般参賀」が行われてきた。皇居・宮殿のベランダに天皇・皇后両陛下が他の皇族方とご一緒にお出ましになり、広く国民から祝賀をお受けになる。令和になってからは、令和2年(2020年)に行われ、6万8710人の国民が参賀に詰めかけたものの、それ以降はコロナ禍の影響で実施が見合せられてきた。

来年は、なおコロナ禍に配慮して参賀人数を大幅に制限しながらも、やっと再開されることになった。当日は、午前・午後あわせて6回のお出ましが予定されている。昨年に成年を迎えられた敬宮としのみや(愛子内親王)殿下が初めて参賀の場にお姿を見せられるので、それを楽しみにしている人も多いのではないだろうか。

参賀の人数は1回ごとに抽選で選ばれた1600人程度に絞られる。これに対し、事前申し込みをした人々の数は10万2000人余りだったようで、倍率は10.6倍だったという(申し込みの締め切りは11月18日だった)。狭き門だ。

新年一般参賀が再開された機会に、戦後に新しく開始されたこの行事がどのような経緯で現在のような形で落ち着くことになったのか、簡単に振り返ってみよう。

一般参賀の変遷、7つのステップ

一般参賀という行事が今のような形で定着するまでの流れを整理すると、およそ以下のような7つのステップを踏んできたことが分かる。

ステップ1:一般の国民が皇居の中に入って参賀できるようになった(昭和23年[1948年]1月1日から)。

ステップ2:参賀のために皇居に参入した国民の前に昭和天皇がお姿を見せられた(同年1月2日から)。

ステップ3:香淳皇后のお出ましも恒例化する(昭和26年[1951年]1月1日から)。

ステップ4:新年一般参賀の日取りがそれまでの1月“1日”から1月“2日”に変更され、それが固定化する(昭和28年[1953年]から。最初の昭和23年[1948年]だけ例外的に1月1日・2日の両日行われた)。

ステップ5:皇后以外の皇族方もお出ましになり、それが恒例化する(昭和35年[1960年]から。ただし4月29日の「天皇誕生日一般参賀」では前年から)。

ステップ6:現在の宮殿の東側の広場(東庭とうてい)で参賀が行われるようになる(昭和44年[1969年]から)。

ステップ7:昭和天皇がマイクを通して参賀者に対して「おことば」を述べられるようになる(昭和57年[1982年]から。ただし天皇誕生日一般参賀では前年から)。

では、これらのステップを1つずつ取り上げて説明しよう。