「なぜ暴力を振るってはいけないのか」という指導者
筆者は数年前、野球部だけでなく多くの有名高校の運動部の指導者を取材した。
多くの指導者は、筆者が問いかける前に「暴力指導は行っていない」と言った。しかし、そのあとに「今は」とか「時代が違うから」と付言する指導者がかなりいた。ベテラン教員が多かった。
「私たちの時代は、どつかれ、殴られして教えられたものだが」と言う。必ずしも苦い体験だったというニュアンスではなく「本当はそうであるべきなんだが」と言いたげな口ぶりの人もいた。
さらに、「今の若い子は“ああしろ”と言えば、“どうしてですか?”と聞くやつが多いんだ。俺らの時代なら、聞き返しただけでぶん殴られたんだけどね」と忌々しそうに言う人もいた。
要するにベテラン指導者の多くは「今は昔に比べて世間がうるさいから、暴力は振るっていません」というスタンスなのだ。
今の部活スポーツは「暴力」を否定しているが、それは上から「やっちゃいけないと言われたから」であり、指導者の中には「なぜ暴力を振るってはいけないのか」を知らないままに指導している人がいるのだ。だから、感情が高ぶれば姫路女学院高の指導者のように“熱心さのあまり”「つい手が出る」人も出てくるのだ。
プロ野球選手の83%が体罰を容認
そもそもスポーツと暴力は、根本から相いれない。
2011年に制定された「スポーツ基本法」によれば「スポーツは、世界共通の人類の文化である」と定義され、「今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のもの」とされている。
要するに「基本的人権」の文脈で語るべきものなのだ。暴力が「基本的人権」を侵害するのは言うまでもない。
そしてスポーツマンシップの考え方によれば、
スポーツとは「チームメイト、相手選手、指導者、審判、ルールをリスペクトする」ことが前提とされている。またスポーツを行う上で暴力や罵倒、罵声などは厳しく戒められている。
日本のスポーツ指導者が言う「熱心さ」と「暴力」は全く次元が違うことなのだ。
しかし、そういう「スポーツの根本」を理解することなく、とにかく「勝ちさえすれば」「結果さえ出せれば」良しとする指導者が今もいる。
現在、巨人のファーム総監督をしている桑田真澄さんは、早稲田大学大学院に在籍していた2010年に現役プロ野球選手270人を対象に「体罰」に関するアンケートをとっている。
それによると「指導者から体罰を受けたことがある」は中学で45%、高校で46%。「先輩から体罰を受けたことがある」は中学36%、高校51%。そして体罰について「必要か」、「時には必要か」と問いかけたところ――83%の選手が体罰を容認した。
日本のスポーツ界には暴力を容認する体質が根強く残っていると言うべきだろう。